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京都地方裁判所 昭和53年(わ)1643号 判決 1992年10月30日

本店所在地

京都市南区吉祥院中河原里北町一番地

弥榮洲オート株式会社

(右代表者代表取締役 万永安男)

本籍

京都市中京区西ノ京南円町三七番地

住居

同市右京区御室芝橋町一一番地の一三

会社役員

万永安男

昭和五年三月四日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官吉浦正明出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人弥榮洲オート株式会社を罰金三〇〇万円に、被告人万永安男を罰金二〇〇万円に各処する。

被告人万永安男においてその罰金を完納することができないときは、金一万円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、その三分の一は被告人らの連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人弥榮洲オート株式会社(以下、被告会社という。)は、京都市南区吉祥院中河原里北町一番地に本店を置き、自動車の販売、修理を目的とする資本金五〇〇万円の株式会社であり、被告人万永安男(以下、被告人という。)は、被告会社の代表取締役としてその業務全般を統括しているものであるが、被告人は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上の一部を除外するなどの方法により、その所得の一部を秘匿した上

第一  被告会社の昭和四九年九月二一日から同五〇年九月二〇日までの事業年度における実際所得金額が二一二五万六五〇三円(別紙1の修正貸借対照表参照)あったのにもかかわらず、同五〇年一一月一九日、同市下京区間之町五条下る大津町八番地所在の所轄下京税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が一一九四万六四八六円で、これに対する法人税額が三八五万四一〇〇円である旨の内容虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法廷の納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、同会社の右事業年度における正規の法人税額七五五万八九〇〇円と右申告税額との差額三七〇万四八〇〇円(別紙4の税額計算書参照)を免れ

第二  被告会社の昭和五〇年九月二一日から同五一年九月二〇日までの事業年度における実際所得金額が一七四〇万五三九二円(別紙2の修正貸借対照表参照)あったのにもかかわらず、同五一年一一月二〇日、前記下京税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が七一〇万一七七九円で、これに対する法人税額が一八五万九三〇〇円である旨の内容虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法廷の納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、同会社の右事業年度における正規の法人税額五九四万四四〇〇円と右申告税額との差額四〇八万五一〇〇円(別紙4の税額計算書参照)を免れ

第三  被告会社の昭和五一年九月二一日から同五二年九月二〇日までの事業年度における実際所得金額が一六二一万九五二六円(別紙3の修正貸借対照表参照)あったのにもかかわらず、同五二年一一月一九日、前記下京税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が四四八万一〇八三円で、これに対する法人税額が一一六万八六〇〇円である旨の内容虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法廷の納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、同会社の右事業年度における正規の法人税額五五二万六九〇〇円と右申告税額との差額四三五万八三〇〇円(別紙4の税額計算書参照)を免れ

たものである。

(証拠の標目)

押収してある証拠物については、括弧内に押番号(昭和五五年押第三七五号)中の枝番号と孫番号のみを記載する(例えば、昭和五五年押第三七五号の一七の1、2については、単に一七の1、2と記載する。)。

判示全事実につき

一  被告人の当公判廷における供述(第七三ないし七九回)

一  第二、一四、一五、二一、二三、二六、三二、三四ないし四四、四八ないし五三回各公判調書中の被告人の供述部分

一  被告人の検察官に対する供述調書四通(検第一〇六ないし一〇八、一一〇号)

一  収税官吏作成の被告人に対する質問てん末書七通(検第九五、九六、九九、一〇一ないし一〇四号)

一  証人鎌田豊の当公判廷における供述

一  第五、八、九、一一、一二、一三、二八、六四ないし七一回各公判調書中の証人鎌田豊の供述部分

一  第一七、一八、二〇回各公判調書中の証人若林千秋の供述部分

一  第二二、二四回各公判調書中の証人阪後武史の供述部分

一  第二四回公判調書中の証人川田透の供述部分

一  収税官吏作成の寺島泰助(検第五三号)、田島英隆(検第五九号)、阪後武史(検第六九号)及び万永きよ子(二通、検第七五号、七六号)に対する各質問てん末書

一  収税官吏作成の査察官調査書一〇通(検第二九ないし三一、三三、三四、三六、三九、四〇、四二、一一五号)

一  収税官吏作成の現金預金有価証券等現在高確認書四通(検第一一ないし一四号)

一  居石政高(検第一五号)、浦島修(二通、検第一六、一七号)、片山武(検第一九号)、深谷一夫(検第二〇号)、岩切龍雄(二通、検第二一、二二号)、岸本進一(検第二七号)、阪後武史(検第一一六号)、深谷一夫(検第一一七号)及び川田久雄(検第一一九号)作成の各確認書

一  京都地方貯金局長作成の操作事項照会回答書(検第四三号)

一  登記官作成の商業登記簿謄本二通(検第二、二三八号)

一  収税官吏作成の差押てん末書三通(検第一一一ないし一一三号)

一  押収してある売上金メモ一綴(一)、在庫売上仕入帳一綴(二)、車両売上仕入帳一綴(三)、証券ホルダー一綴(四)、請求書控九冊(五)、メモ二綴(六、七)、車両仕入売上メモ一綴(八)、金銭出納帳一冊(九)、印影一覧表一綴(一〇)、手帳一冊(一一)、昭和五一年度預り金(負)帳簿一綴(二六)、昭和五二年度元帳(負)二綴(二七の1、2)、昭和五二年度銀行勘定帳一冊(三三)、昭和四九年、五〇年度車両売上仕入在庫元帳一綴(四一)、五一年九月期振替伝票三綴(六一の1ないし3)、五〇年九月期振替伝票三綴(六二の1ないし3)、検査受台帳一冊(七九)、車検管理表、出庫表二四綴(八〇)、登録関係台帳五冊(八一)、登録元簿一綴(八二)及び登録関係雑書一綴(八三)

判示第一及び第二の各事実につき

一  中眞伸の検察官に対する供述調書(検第六二号)

一  収税官吏作成の中眞伸に対する質問てん末書(検第六一号)

一  押収してある昭和五〇年度総勘定元帳一綴(一九、二〇)、昭和五〇年度元帳(負)一綴(二二)、昭和五〇年度金銭出納帳一冊(二九)、昭和四九、五〇年度手形受払帳一綴(三八)、納車明細書二綴(五二)、請求書控(一二冊)一綴(五九)、五一年九月期領収証綴二綴(六〇の1、2)、約束手形一綴(六八)、領収書一綴(六九)及び在庫車一覧表一冊(八五)

判示第一の事実につき

一  柳原昭二(検第二一三号)、足立勝(検第二一四号)、清水貢(検第二一五号)及び杉本紘二(検第二一六号)の検察官に対する各供述調書

一  下京税務署長作成の証明書(検第三号)

一  押収してある昭和四九年度総勘定元帳三綴(一六、一七の1、2)、昭和四九年度元帳(負)一綴(一八)、昭和五〇年度元帳(資)一綴(二一)、昭和四九年度金銭出納帳一冊(二八)、昭和五〇年度銀行勘定帳一冊(三一)、昭和四九年度手形受払帳二冊(三四の1、2)、昭和五〇年度手形受払帳一冊(三五)、所有権留保契約書一綴(四三)、四九年九月期振替伝票三綴(六三の1ないし3)、領収証控一冊(七三)、領収証綴二綴(七七、七八)、社員名簿二綴(八六)及び給料台帳一綴(八七)

判示第二及び第三の各事実につき

一  収税管理作成の査察官調査書二通(検第四一、四二号)

一  押収してあるトヨタ71ビジネスダイアリー一綴(一二)、解約通帳半片(一三)、使用済普通預金通帳(一四)、昭和五一年度総勘定元帳(二三)、元帳一綴(二四)、昭和五一年度金銭出納帳一冊(三〇)、領収証控(四二冊)三綴(四六の1ないし3)、請求書控四冊(四七の1ないし4)、車両仕入伝票一綴(四八)、ユーザー注文控一綴(四九)、昭和五二年九月期振替伝票綴一一綴(五七の1ないし11)、請求書一綴(六四)、領収証四冊(六六の1ないし4)及び金銭出納帳一冊(七〇)

判示第二の事実につき

一  下京税務署長作成の証明書(検第四号)

一  押収してある昭和五一年度元帳(資)一綴(二五)、昭和五一年度銀行勘定帳一冊(三二)、昭和五一年度手形受払帳一冊(三六)、領収証控三冊(五三)及び昭和五一年九月期修理売上明細書一綴(八四)

判示第三の事実につき

一  下京税務署長作成の証明書(検第五号)

一  野村英男作成の確認書(検第一一八号)

一  押収してある請求書一冊(一五)、昭和五一年度手形受払帳一冊(三七)、昭和五三年度手形受払帳一綴(四〇)、納品控一綴(四二)、保険異動解除証人書写一綴(四四)、請求書(四冊)、一綴(四五)、注文関係綴一綴(五〇)、請求明細一綴(五一)、未使用約束手形(一二枚)一綴(五四)、五二年九月期現金預金勘定一綴(五五)、領収証控一冊(五六)、振替伝票一綴(五八)、請求書一綴(六五)、商談覚書ノート一冊(六七)、ビジネスダイアリー一綴(七一)、納品書一綴(七二)、昭和五二年九月期総勘定元帳二綴(七四の1、2)、領収証控一冊(七五)及び日記一冊(七六)

(補足説明)

第一はじめに

本件においては、公訴事実がいわゆる財産増減法による立証(以下、B/S立証という。)によって証明されているかどうかが問われている。検察官は、右の点につき、いずれの公訴事実も合理的な疑いをいれない程度に証明されていると主張するのに対し、弁護人は、右の立証方法ではいまだ本件の各ほ脱額は証明されていないと主張する。

本件の争点は多岐にわたっているが、これを要約すると、多額にのぼる各期の預貯金、特にその多数を占める仮名預貯金と無記名債券の把握の正確性、被告会社から仮名普通預金口座へ移されている金銭の性質(不正手段による被告会社の簿外資金か、それとも被告人が被告会社に代わって個人資金で立て替えた分の返還金か)、更には、各期の否認にかかる支払手形の性質(不正な手段が行われたのかどうか)等である。

当裁判所は、双方の主張を考慮しつつ、取調済みの関係各証拠を詳細に吟味、検討した結果、本件各公訴事実はいずれも判示の限度でこれを認めることができるとの結論に到達したので、ここにその判断の理由を示すこととする。なお、以下においては、次の要領で略語を用いることがある。

(被・一四回)・・・第一四回公判調書中の被告人の供述部分

(被・五一・三・一九質てん)・・・収税官吏作成の被告人に対する昭和五一年三月一九日付質問てん末書(単に検察官請求証拠等関係カードの番号のみで特定することもある。)

(被・五三・一〇・三一付検)・・・被告人の検察官に対する昭和五三年一〇月三一日付供述調書(単に検察官請求証拠当関係カードの番号のみで特定することもある。)

(鎌田・五回)・・・第五回公判調書中の証人鎌田の供述部分(他の証人についても右の例による。)

売上金メモ一綴(一、検第八三号)・・・括弧内の一とあるのは、前記押番号中の枝番号を示し、これに証拠等関係カードの番号を併記したものであり、証拠物については、右の例による。

第二当裁判所の判断

一  弁護人は、検察官のとるB/S立証はそもそも許されないのみならず、仮に許されるとしても、本件においては、検察官の用いたB/S立証の方法では期間損益が正確に把握されていないと主張するので、まずB/S立証が許されるかどうかということと、同立証方法の持つ問題点をみておくこととする。

ところで、所得額の確定方法として損益計算法をとるか財産増減法をとるかは立証方法の問題であるから、基本的には検察官が決めるべきものであり、裁判所としては、立証一般に共通する最良証拠の法則や立証の実効性の要請という見地から加える吟味の必要性の点は別として、これを拒む理由はない(最高裁昭和五四年一一月八日決定・刑集三三巻七号六九五頁、同昭和六〇年一一月二五日決定・刑集三九巻七号四六七頁参照)。そして、本件においては、証拠関係を検討してみると、被告会社の会計帳簿に不正確な記載や不実の記載が散見されるのみならず、これを追跡調査して正確な帳簿を復元するだけの資料が、その売上先に個人が多いということなどから困難ないし不可能である等の事実が存するので、検察官がB/S立証の方法を選択したこと自体には何らの問題もない。

しかし、他方、B/S立証は、所得金額そのものの直接的な立証ではないという意味において、間接事実による所得金額の立証である。もとより刑事裁判においては、税務行政における「推計課税」(法人税法一三一条、所得税法一五六条)と同じ意味での推計が許されるわけではなく、あくまでも、所得金額の実額が推認によって証明されなければならない。したがって、このような推計の方法が合理性を有するためには、それによって得られる数値が実額を超えていないとの保障が必要であり、当該期中の純資産増加額がこれ以下ではないということが合理的な疑いを差し挟まない程度に立証され、更には、その中に非課税源泉からの所得が混入していないことも同様な程度に立証されなければならない。

この点に関し、弁護人は、次のとおり主張している。

<1> 検察官は、本件では被告会社の簿外資産と被告人の個人資産とが混合して運用されているとした上、被告人の全財産の増加状況と被告人の個人収支を調査し検討した結果、被告人の全財産の増加額は被告人の個人収支余剰金の額を極端に上回り、かつ、その財産の増加額の大部分は被告会社の不正資金により増加しているものとみられるので、これらは当然に被告会社に帰属するものであるなどとして、その預貯金等の帰属を決定している。しかし、右の個人収支余剰金の額は実額ではなく、擬制した額なので、法人の財産増加額も単なる擬制・推認にほかならない。擬制・推認性が高いということは、同業者との比較(同業者比準法)や自社の多年度の所得との比較(本人比率法)等によってより慎重な合理性の検討がなされなければならないが、本件ではこれがなされていない。

<2> B/S立証をするためには、各期首と各期末の総財産が正確に把握されなければならないところ、本件では預貯金等の占める割合が極めて高いから、起訴年度の各期首と各期末の時点におけるすべての預貯金等が把握されないかぎり、B/S立証はできないこととなる。しかも本件では、本名預金より仮名預金や無記名債券が圧倒的に多く、したがって、右各期の預貯金等の全額を把握するのは不可能である。被告人自身おびただしい数の仮名預金等すべてを記憶してはいないし、銀行員もその全貌を把握してはいない。このように把握のできない預貯金等が全財産のかなりの部分を占める場合には、B/S立証はできない。現に、本件起訴後において、国税局の把握漏れの預貯金等があったことも判明している。

<3> 右のように全財産が把握されていないこともあって、B/S立証の結果は極めて不当なものとなっている。すなわち、本人比率法により被告会社の起訴年度後の申告所得と比較すると、起訴年度の所得は異常に高額となっているし、また、同業者比準法により利益率を比較してみても、「中小企業の経営指標」(中小企業庁編、弁第七九ないし八一号)の各年度版によって資産した同業種の営業利益率と比べ、起訴年度における被告会社のそれは、五〇年九月期で一〇倍、五一年九月期で約一三・三倍、五二年九月期で約一二・八倍であり、この種営業における利益率としてはとうていあり得ない額である。B/S立証も推計の方法を用いた立証であるから、これによって得られた金額が「全体実額」を超えないという保障がなければならないところ、そのためには、右のように本人比率法や同業者比準法による算定所得とも比べてみて、もしこれを超える額があればその部分は切り捨てて、右の算定所得をもって被告会社の所得としなければならず、そうでなければ合理的な疑いを超えた立証があったということはできない。

以上の弁護人主張のうち、<2>の点は後にして、先に<1>、<3>の点から検討する。

まず、<1>についてみると、検察官は、預貯金等に関して後記(四、1)のとおりの基準で被告会社と被告人個人の各帰属を区分しているのであるが、右の基準自体は、もしその前提となる被告人個人の所得源泉が正しく確定されているのであれば、十分基準としての合理性を有するものと考えられる。そして、右の前提が揺がないかぎり、かかる基準によって確定された預貯金唐については、もはや単なる推認とか擬制というものではなく、当該預貯金等の額も実額の認定といわなければならず、したがって、その正確性の担保のためには、必ずしも同業者との比較や自社の多年度の所得との比較等を試みなければならないものでもない。

しかしながら、弁護人は、前記<3>のとおり、本件において右の各比較を強く主張しているので、とりあえず概括的に、この点について検討しておくこととする。

被告人作成の昭和五三年度以降の確定申告書(弁第六七ないし七四号)及び木村・六〇回によれば、被告会社における起訴年度三期の起訴にかかる修正所得金額とその後の申告所得金額の推移は、次のとおりであることが認められる(括弧内は公表金額)。

五〇年度 三三三六万九二五〇円(一一九四万六四八六円)

五一年度 四四五一万一七九七円(七一〇万一七七九円)

五二年度 三四八八万三三二五円(四四八万一〇八三円)

五三年度 二二八三万八四六九円

五四年度 九三一万九七五二円

五五年度 一五五一万二四七〇円

五六年度 一六七九万六四六五円

五七年度 一一二九万五六四一円

(五三年度から五七年度までの平均 一五一五万二五五九円)

五八年度 二〇六八万五一七四円

五九年度 二三四六万八八五七円

六〇年度 一九六六万円

六一年度 一三三五万円

六二年度 一五七五万九三一七円

(五八年度から六二年度までの平均 一九八六万八六一六円)

右の検察官が主張する修正所得金額とその後の年度の申告所得金額とを比較すると、起訴後一〇年間の申告所得平均との比率が、五〇年度で約一・六八倍、五一年度で約二・二四倍、五二年度で約一・七六倍となっており、また起訴後の五年平均では、それぞれ二・二倍、二・九三倍、二・三倍という値になっている。右の比較によれば、なるほど弁護人の主張するとおり、起訴にかかる三期の修正所得金額が相当な高額になっており、特に起訴後の五年間の平均値との比較では、異常に高額になっているといえる。

ところで、このように起訴にかかる三期の所得だけが高額になっているということは、例えば、その間の業績が右の高額な所得を根拠付けるに足りる程度に良好であったとか、期中における貸方科目に臨時的な計上があったとか、あるいは起訴後の申告所得金額に多額の脱漏があったとかの、これを合理的に説明し得る何らかの事情がなければならないであろう。この点について、検察官は、右三期の修正所得金額が高額になっているのは、申告の際の税務調査と本件各公訴事実に関する国税局の査察との間で、調査の規模や深度に相当な差異が存在するためであるという。なるほど、税務調査と査察とではその調査の権限や規模等に差異があることは否定できないし、その結果、所得の捕捉の程度に違いがでてくることもまた実際上否定し難いであろうから、右の主張も一般論としては理解できなくない。しかしながら、本件についていえば、被告会社の顧問税理士として起訴後の税務申告を代行している証人木村祐一が、これまでの申告に当たって、税務当局から細かな科目の誤りを指摘されたことはあるものの、それ以上の誤りの指摘を受けたことはなかった旨供述している(木村・六〇回)ところから、起訴にかかる三期分だけが前記のような高額の所得になったことの理由として、検察官の右説明ではとうてい納得し難いものがある。

このようにみてくると、起訴にかかる三期分の所得だけが高額であることは、やはり検察官の本件立証に問題があることを強く疑わせる事実であり、ひいては、個々の勘定科目の検討に際しても慎重な態度が求められるものといわざるを得ない。

弁護人はまた、同業者比準法からしても、起訴所得が異常に高額であり、実際上あり得ない額であるという。すなわち、前掲「中小企業の経営指標」によると、本件各起訴年度ころの自動車(軽自動車及び普通車)販売業及び自動車整備業の従業員一人当たりの平均年間利益は、昭和五〇年四月期が軽自動車三四万九二〇円、普通車三八万七七〇二円であり、また、自動車整備業は二九万九七九六円となっている。これをもとに、同年九月期について、被告会社の従業員が一一人ないし一五人で、一人が販売、一〇人が整備を担当すると仮定して利益額を試算すると、三三六万二二七一円となる。ところが、被告会社は一一九四万六四八六円の利益を税務申告しており、十分な額の申告である。これに対し、起訴にかかる利益額は右試算額の約一〇倍となり、とうていあり得ない額である。同様の方法で、昭和五一年九月期についても、同期の従業員数が一二ないし一四人であり、一人が販売、一一人が整備に従事していると仮定して利益額を試算すると、三三三万一五六円となり、被告会社は七一〇万一七七九円の利益を税務申告しており、十分な額の申告である。これに対し、起訴にかかる利益額は右試算額の約一三・三倍であり、とうていあり得ない額である。更に昭和五二年九月期についても、同期の従業員数が一二ないし一六人であり、一人が販売、一一人が整備に従事していると仮定して利益額を試算すると、二七〇万一一九六円となり、被告会社は四四八万一〇八三円の利益を税務申告しており、十分な額の申告である。これに対し、起訴にかかる利益額は右試算の額の約一二・八倍であり、とうていあり得ない額である。以上のとおり主張している。

確かに、弁護人が前提とする方法で試算したかぎりにおいては、その主張するとおりの結果になることが認められる。しかし、右試算の根拠とされた平均利益額は、あくまでも事業内容、規模等の個別的な事情を捨象した同業種の統計的な数値である上、右の前提となる被告会社の従業員の数及び販売、整備体制についても必ずしも明確になっているとはいえず、例えば、試算では販売担当者が一人であるとの前提をとったため、自動車販売における年間利益がかなり過少になっていることは否定できず(この点につき、被告人は、被告会社の利益は販売と整備で五分五分の割合であるという。被・一四回)、したがって、これをもとに比較してみても余り意味があるものとは思われないし、何よりも、右の論法は被告会社の利益の源泉を専ら営業利益のみで比較する誤りを犯しているものといわなければならない。また、被告会社の右各期の税務申告額が十分な額であると主張している点についても、前記のとおり、これらの金額はそれ以後の期の申告額と対比して著しく少なく、どうして十分な額の税務申告がなされたといえるのか理解し難いものがある。

二  現金科目について

これは、後記のとおり、被告人が黒鞄の中に入れて所持していたとされる現金であって、各期とも過年度金額五〇〇万円となっており、被告会社の資産の各期増減には何ら影響がない。そして、五〇〇万円の金額に付いては、被告人自身が、「常時五〇〇万円程度所持していた」旨供述しており、(被・質てん、検第九九、一〇〇号)、また、現在高確認書(検第一一ないし一四号)によると本件査察時右黒鞄中に三三〇万円程度の現金があったことが認められることなどに照らし、各期五〇〇万円の現金が被告人において保有されていたことは、証拠上もこれを肯認することができる。

ところで、その帰属については争いがあり、弁護人は、この現金は、一時的に客から受領した車両代金等被告会社に入金すべき分が短期間混在したことがあるほかは、基本的には被告人個人の手持金として、被告人に帰属するものであって、被告会社では当時現金が不足がちのため、被告人はこれによって、後記のとおり中古車の仕入代金を被告会社に代わって立替払いし、あるいは車両の売上代金を顧客に代わって被告会社に立替払いしていたものであると主張し、被告人及び証人万永英光も、公判廷においてこれに沿う供述をしている。

しかしながら、右の点については、被告人自身、捜査段階において「鞄の中に入れていた金で一時仕入代金を支払って、その後会社から出金したとき仮名の普通預金に入れたりしたこともある。この仮名普通預金からの出金分を鞄に保管していたことになるので、この現金は会社の金ということになる。」などと供述し(被・質てん(検第一〇一ないし一〇三号)、被・検(検第一〇六号))、これが被告会社に帰属することを認めていたばかりか、後記のとおり、弁護人らの主張する右立替払いの会計処理自体に不自然、不合理な点のあること、右現金の源泉についても、被告人の個人資産から調達されたことの合理的な説明がなされていないこと、更には右現金の発見状況(検第一一号)、例えば、現金のほか「何々様手付け」等のメモが多数存在することなどからすると、これが被告人の個人所有であるとはとうてい考えられず、やはり被告人が捜査段階で供述するとおり、被告会社の現金を被告人が業務の過程で所持していたものと認められる。これに対し、被告人の公判廷における弁解は、右の客観的な状況や右立替払いの弁解自体が公判の途中においてはじめてなされるに至ったこと等の事情に照らして、信用できず、証人万永英光の供述も被告人の弁解を裏付けるに足りるものとはいい難い。

三  預貯金等の把握について

弁護人は、B/S立証をするためには、各期首と各期末の総財産が正確に把握されなければならず、殊に本件のように全財産中預貯金等の占める割合が高い場合には、起訴年度の各期首と各期末の時点における全ての預貯金等が把握されなければならないところ、本件の預貯金等は仮名預金や無記名債券が圧倒的に多く、被告人自身おびただしい数の仮名預金等すべてを記憶してはいないし、銀行員もその全貌を把握してはしないから、右各期の預貯金等の全額を把握するのは不可能であり、したがって、本件の場合にはB/S立証はできないと主張する。

確かに、起訴年度の各期首と各期末のすべての預貯金等が把握されなければB/S立証ができないことは、弁護人のいうとおりである。そして、本件では仮名の預貯金や無記名の債券が圧倒的に多いので、右各期の預貯金等の全額を把握するのには困難を伴うこともまた事実である。しかし、そうかといって、本件で右の把握が不可能と決め付けてしまうのは早計である。すなわち、一般的にいえば、でき得る限りの調査をし、かつ、被告人の弁解を聞き、調査の過程で知り得たものについてはその裏付け調査を実施した上、それでもなお存在が確かめられなければ、それ以上は調査の仕様がないのであり、もし被告人の方で具体的な根拠を挙げて存在を主張してこなければ、そのような被告人の態度等と相まって、もはやそれ以上の預貯金等は存在しないとみなさざるを得ない。これを本件についてみると、起訴状記載の預貯金等は、帰属の点は別として、その存在が本件で取り調べられた証拠によって認められ、弁護人も右の存在自体は争っていないところ、これらの預貯金等は、査察及び捜査の過程において被告人の主張するところや証拠物等を検討し、当該金融機関に対する裏付け調査等を行うことによって特定されたものであって、被告人は、右預貯金等について、その架空名義人の氏名、口座名や口座番号、取引明細等の資料を殆ど保存しておらず、それゆえに、具体的根拠をもって右以外の預貯金等の存在を主張しているものではないし、また、査察や捜査の過程で捜査官や検察官からその存在について具体的な弁解を求められた際にも、右以外の預貯金等が存在することを何ら主張していなかった。(被・表和五三年九月一八日付質てんなど)のであるから、捜査段階における本件の各期首と各期末の預貯金等の把握には一定の限界があったと認めざるを得ない。したがって、その意味では、検察官が本件起訴にかかる預貯金等を前提にその帰属を問題にしているのはやむを得ない面があったというべきである。しかしながら、そのことから、直ちに検察官の立証において預貯金等の把握が疑いの余地なく立証されたということにもならない。この点につき、弁護人らは、公判の過程において、被告人の預金で把握漏れがあったものの具体例として、京都信用金庫吉祥院支店の被告人名義及び上田正三ほか八名名義の仮名定期預金、京都中央信用金庫円町支店の片岡英哉ほか四名名義の仮名定期預金、同金庫桂支店の中島慶太ほか一名名義の仮名定期預金、同金庫金閣寺支店の三輪将晃名義の仮名預金並びに伏見信用金庫桂支店の石井祐次郎名義の仮名定期預金を挙げて反論している(弁護人作成の昭和五六年一二月七日付準備手続陳述要旨)。

そこで、更に検討すると、弁護人らの指摘する右預金のうち、検察官の立証によって多くは被告人に帰属するものではないことが証明された(川田透、山田慶造、光森忠夫、竹内新二及び近藤敏彦の検察官に対する各供述調書、川嶋正十、西村耕二、戸倉輝各作成の供述書等)ものの、京都信用金庫吉祥院支店の被告人名義の二口の定期預金(いずれも金額が一〇〇万円、預金の期間が昭和四七年一二月六日から昭和四九年六月一〇日)については、これらが被告人に帰属することは検察官も争わないところである。また、中央信用金庫円町支店の片岡英哉(金額六八万円、預金期間昭和四八年五月二二日から昭和五一年五月二二日)、片岡道子(金額一〇二万七〇五円、預金期間昭和四八年四月二八日から昭和五一年五月七日)、堀伝次郎(金額二〇万一六一一円、預金期間昭和四六年一二月二二日から昭和五一年五月七日)及び堀さかえ(金額八〇万九七〇円、預金期間昭和四八年一一月九日から昭和四九年一一月九日)各名義の定期預金についても、その名義人がいずれも被告会社の元従業員か現従業員又はその家族(ただし、堀さかえの「さかえ」という名は被告人が作出したもの)で、実質的には被告人に帰属することを、被告人自身が経過を説明して供述している(被・二一、二七回)ところ、片岡英哉及び同道子の検察官に対する各供述調書並びに堀伝次郎作成の照会事項及び回答書(弁第五号)に照らしても、未だ被告人の右供述が虚偽であると断定することはできない。そればかりか、これらの預金は、その資金の動き方が個別的であって、同時期にまとめて預け入れるなどのいわゆる団体異動の跡がみられない点において、他の不正預金と異なることや、金額に端数のあることなどからして、いずれも被告人に帰属する可能性が高いとさえいえるものである。次に、中央信用金庫金閣寺支店の三輪将晃名義の一〇〇〇万円の通知預金(昭和五二年六月一八日から昭和五二年八月三日)については、被告人は、これも三輪という被告会社の従業員の姓に将晃という名を作出して同金庫職員の駒嵐正幸に預金を依頼したが、三輪姓だけ記憶していて、三輪名義のものを調べてもらったら、右名義の預金が出てきたのでこれだろうと判断したと言い(被・二六回)、右駒嵐も、昭和五二年六月一七日の夕方被告人が一四万円持参して通知預金にしてくれと言われ、三輪将晃名義の通知預金にし、昭和五二年八月三日解約した旨述べている(同人の供述書、検第二一八号)ところから、これまた被告人ないし被告会社に帰属するものと認めざるを得ない。さらに、伏見信用金庫桂支店の石井祐次郎名義の定期預金(金額三〇〇万円、預金期間昭和四九年六月一〇日から昭和五〇年七月八日)についてみると、確かに同金庫職員の谷口勝男は、この名義の預金は被告人とは関係ない旨の供述をしている(同人の検察官に対する供述調書、検第二一七号)が、他方、被告人は、石井祐次郎なる名義については、同金庫職員に対して石原裕二郎名義にしようとしたらいけないと言われて石井にしたことから記憶にあり、同金庫の次長か支店長に前記片岡らとともに「石井祐次郎という名前のものもあるはずだ」と言って調査を依頼した結果判明したものである旨供述している(被・二一、二六回、被告人が調査を依頼した経緯については、辻井・七六回)ところであって、右の谷口供述に照らすとなお疑問の余地はあるものの、これを被告人が預け入れたものではないとまでは断定できない。

右にみた分については、その帰属が被告会社であるか被告人であるかの点は別としても、いずれも被告人が預け入れたことが明らかといえるか、又はその可能性を否定するだけの証拠がない預金である。もっとも、右のうち被告人名義及び三輪将晃名義の各預金は、被告会社の起訴年度各期の所得の増減には関係がない。しかし、これ自体把握漏れの預金の存在を窺わせる徴憑といえるし、また、被告人に帰属すると認められる被告人名義の預金については、その後の資金の流れが不明であるが、これが債券等に預け替えされている可能性も否定できないのであり、この場合には右起訴年度各期の所得の増減にも影響してくるものといわざるを得ない。以上のほか、京都中央信用金庫桂支店職員の近藤敏彦の供述によれば、具体的な名義等は記憶していないが、昭和四九年一〇月ころ、被告人から四〇〇ないし五〇〇万円を預かり、三か月間ほど仮名で預金してもらったことがある(近藤・二五回、同人の検察官に対する供述調書、検第三一〇号)というのであり、これも具体的な状況は明らかでないが、やはり把握漏れの預金の存在を窺わせるものというべきである。さらにまた、弁護人らは、上記以外にも把握漏れの分が存在するとして、被告人の作成した手帳(一一、検第九三号)の記載を挙げており、これについても、後記のとおり、同手帳の記載内容の債券等が存在したことを否定するだけの証拠はないといわざるを得ない。

以上検討してきたところだけでも、把握漏れの預貯金が存在することは否定できず、これらが被告会社、被告人のいずれに帰属するかの点はともかくとして、右は起訴各期における預貯金等の把握が十分になされていない疑いを払拭できない事情というべきであり、ひいては、預貯金等の帰属についても、他に被告人帰属の預貯金の存在した可能性を否定できないことになる。

四  預貯金等の帰属について

1 検察官の主張

本件では、被告会社の簿外資産と被告人の個人資産とが混合して運用されているため、被告人及びその家族名義の預貯金並びにこれらの名義で購入された割引債券(以下、これらを本名預貯金等という。)については被告人の帰属とし、仮名の預貯金や購入者が判明しない方法で購入された割引債券(以下、これらをまとめて仮名預貯金等という。)については被告会社の帰属として確定した。その根拠は次のとおりである。

すなわち、本件においては、法人の不正資金が入金されていることが明らかな仮名普通預金を除き、その余の預貯金等の資金源につき調査したところ、個々の資金源が判明しないものや、本名預貯金等から仮名預貯金等へ、あるいはその逆に、仮名預貯金等から本名預貯金等へ資金が移し替えられているものが認められ、資金源からは個別にその帰属を明らかにすることができない。そこで、全財産の増加状況と被告人の個人収支を調査し検討した結果、全財産の増加額は、個人収支余剰金の額を極端に上回り、その財産の増加額の大部分は被告会社の不正資金により増加しているものと認められるので、これらは当然に被告会社に帰属するものと判断される。また、本名預貯金等の増加額と個人収支余剰金の額とを対比したところ、本名預貯金等だけでも、各期ともその増加額が個人収支余剰金の額を上回り、この増加額の中にも被告会社の不正資金が流入しているものと認められる。しかし、右本名預貯金等の増加額は個人収支余剰金の額に近似値であることや、それが被告人個人のものであることを名義の上でも顕示していることから、前記のように本名預貯金等は被告人に、仮名預貯金等は被告会社に帰属するものとした。そして、本名預貯金等の増加額のうち、被告人の個人収支余剰金を上回る分は、被告会社の所得による資金が混入したものとして、社長勘定(被告会社の被告人に対する貸付金)を設けて処理した。

2 弁護人の主張

検察官の主張は、被告人の個人収支余剰金との比較に関して、無記名の割引債券も架空人や従業員名義の預貯金もすべて被告人個人の資産ではないという前提をとっており、したがって、それらの割引債券や預貯金から生ずる果実もすべて個人収支に組み入れられず、右個人収支余剰金から除外されることになるが、これらの果実を個人収入金からすべて除外しておいて、これと個人財産増加額とを比較しても、何の比較にもならない。右のような前提が合理的根拠に欠けることはいうまでもない。

例えば、検察官は、その冒頭陳述書付表四三の割引債券(都証券及び山一証券で買ったもの)について、それが被告人名で購入されていることを理由に、無記名であるのに被告人個人の資産としているが、割引債券を証券会社で買えば、証券会社が口座を作るので申込書に顧客名を記載させるし、他方、割引債券の発行金融期間で買うときは、そのようなことは全くなく、現金と引換えに当該債券自体と伝票を受け取るだけである。したがって、検察官の論法によれば、資金の出所が何であれ、発行金融期間から買った割引債券は資金出所と関係なく、購入名義如何によって被告人個人資産とされたり被告会社資産とされたりするが、これは割引債券購入の実態と無関係になされた恣意的な区分である。

また、冒頭陳述書によると、大和銀行京都支店にあった金銭信託二口合計六四〇万円は会社資産とされている(付表九)が、この二口はいずれも昭和四四年の設定であるところ、個人財産増加額や個人収支余剰金を算出して比較したのは昭和五〇年以降であり、したがって、この計算によって昭和四四年に設定された金銭信託の帰属を決定するのは暴挙である。同様に、同銀行同支店の被告会社従業員や親戚名義の定期預金についても、すべて昭和四九年中に設定されたもので、会社資産とされている(付表七、八)が、これらは、実際には右期中に設定されたものではなく、昭和四六年、四七年に設定されたものである。(深谷一夫作成の確認書、検第二〇号)。さらに、三井銀行円町支店の定期預金についても、冒頭陳述書付表五、六の定期預金が会社資産として、その設定が昭和四九年などと表示されているが、検察官提出の根拠によっても、「栗林義則」定期は昭和四四年設定のもの、「伊藤佳男」「小山光子」「坂田博好」「馬場信夫」各定期は同四五年設定のもの、「石田薫」「板野正勝」「松浦勇治」各定期は同四六年設定のものである。そして「菅井久治」定期五〇万円は、昭和三八年一〇月四日金四〇万円で設定されて発足し、その後、同四〇年一二月三一日金一〇万円が加えられたものである。

なお付言するに、割引債券の購入、定期預金の預入れ等は被告人の妻の万永キヨ子が行っていたものであるが、同女には、預け入れる金銭が会社資産であるか個人資産であるかを区別する判断力はなく、名義をどうするかは同女のその時の気持ち次第で決めていたことであり、このような場合、どうして被告人及び家族名義の預貯金等は被告人個人に、その余の仮名、無記名の預貯金等は法人にそれぞれ帰属というように判断できるのか。

以上のように、冒頭陳述書記載の勘定科目のうち、銀行預金と債券の科目は、合理的根拠を欠くものである。

一方、被告人には昭和四七年当時、実名や仮名の定期、割引債券などで一億六五〇〇万円以上の資産があり、果実だけでも年間一〇〇〇万円近く増加するし、さらに、個人収入による資産増加を加えれば、本件調査年度において、被告人にはおよそ二億円近い資産があったという計算になり、その年間果実は一〇〇〇万円以上ということになる。調査年度の期首においてそれらが十分把握されておらず、把握漏れが存在し、その一部が期中で顕在化するということを考えれば、検察官が主張するような割引債券、定期預金の増加も優にあり得ることで、会社簿外資金の流入を持ち込む必要はないことになる。

3 検討

(一) そこで、預貯金等の帰属について検討するのに、まず、検察官が冒頭陳述書添付の修正貸借対照表において被告会社の帰属と主張する各期中の定期預金等及び債券は、次のとおりである。

(昭和五〇年九月期)

銀行預金

資産の部 公表金額 二〇五八万三八七四円

過年度金額 四九〇二万三八六四円

差引修正金額 三四九三万九七八〇円

負債の部 当期増減金額 三四六六万七九五八円

債券

資産の部 公表金額 〇円

過年度金額 三三八八万一五八〇円

当期増減金額 五三四五万四五二一円

差引修正金額 八七三三万六一〇一円

(昭和五一年九月期)

銀行預金

資産の部 公表金額 一四九一万三五三九円

過年度金額 一四三五万五九〇六円

差引修正金額 二八一五万一五二四円

負債の部 当期増減金額 一一一万七九二一円

債券

資産の部 公表金額 〇円

過年度金額 八七三三万六一〇一円

当期増減金額 三八三五万八〇二〇円

差引修正金額 一億二五六九万四一二一円

(昭和五二年九月期)

銀行預金

資産の部 公表金額 一九七六万六九三五円

過年度金額 一三二三万七九八五円

当期増減金額 四九四万五六四八円

差引修正金額 三七九五万五六八円

債券

資産の部 公表金額 〇円

過年度金額 一億二五六九万四一二一円

当期増減金額 一九〇一万七八〇円

差引修正金額 一億四四七〇万四九〇一円

もとより、本件のような仮名の預貯金等の帰属は、その源泉が被告会社資産からのものであるのか、被告人の個人資産家らのものであるのかによって決せられることになるが、既にみてきたとおり、本件においては、個々の預貯金等の源泉が明確ではなく、被告人自身その点を特定することはできないし、他に特定の根拠となる証票類も存しないので、個々の源泉によってはその帰属が決し難い。そのため、検察官は、前記のとおり、被告人の個人収支余剰金と全預貯金等の増加額との対比から、仮名預貯金及び無記名債券については被告会社に帰属するものと主張している。ところで、これらの預貯金当について、被告人は捜査段階で、その額の点はともかく、一部に会社資産が流入していることを認めており、少なくともその中に会社資産が含まれていることは、会社名義の債券などは存しないなどという被告人の公判廷における弁解にもかかわらず、証拠上疑いのないところであり、結局、本件のこれらの預貯金等は、被告会社の簿外資産と被告人の個人資産とが混合して運用されてきたことにより発生したものと認められる。このような場合、検察官主張の方法による帰属の確定は、その前提となる被告人の個人収入が把握され、かつ、他に被告人の個人資産や利子所得等がないことが確定されているときには、確かに合理的な方法として許容されるべきであるが、この点について、検察官は、個人収支計算書に記載された所得以外には被告人の個人資産の増加原因は存しないとするのに対し、弁護人は、被告人には多額の個人資産があり、これの果実と個人収入等によっても、検察官がいうような割引債券や定期預金の増加も優にあり得ることであるなどと主張していることは前記のとおりである。

一方、被告人は、捜査段階の当初においては、「被告会社の売上の一部を抜いて割引債券などとして保有していた。当時、自己の預貯金の利息、給料、家賃等の収入から生活費として使った残りの金も預けていたので、これらの金額を自宅で調査された債券や預金の増加額から差引いたものが、被告会社の売上を抜いた額である。」旨供述していた(被・昭和五三年三月二八日付質てん(検第九五号))が、その後の取調べにおいては、「これらの預貯金や債券は、主として自己及び父栄次(昭和四一年死亡)が昭和二六年以降個人で自動車の修理販売をしていた当時に蓄えた財産と、父親からの相続で得た不動産を処分して得た金である。その後はこれらの金を預けていたため、その利子によって財産が殖えた。家賃やボーナスの一部も預金していた。以上のほかにも、会社の売上代金の一部を抜いて預金したことによって形成されたものがある。」旨供述するに至り(同年四月一〇日付被・質てん(検第九六号))、さらにその後、当時の手持財産を調査したときのメモ書きのある手帳一冊(一一、検第九三号)を提出した上、「この手帳は、昭和四七年ころ、日々の商売上のことを私が心覚えのために記載した。46・10債券八〇〇万円とあるのは、四六年一〇月に割引債券を額面で八〇〇万円買ったということであり、以下、四七年九月までに前後九回、合計九八〇〇万円の割引債券を買ったということである。次いで、郵便局に九〇〇万円、三井銀行に二三五四万円、その他の銀行に三五四〇万円の合計一億四五九四万円の預貯金が四七年八月か九月ころにあったということである。メモした理由は、右の四七年八月か九月ころ、西大路花屋町に約一億円で自動車工場が売りに出されているという話があり、移ってもよいなと思う気持ちがあって、そのころ、自分の財産を調べてみたからである。」(被・質てん(検第九七号))とか、「債券買入れ資金九八〇〇万円は、主として三井銀行円町支店、多少は京都中央信用金庫円町支店の定期預金を解約したもので、これらの定期預金は、私名義のほかは架空名義だった。架空名義の取引は、二六年ころ、父と事業していた当時から銀行員に頼まれて架空名義としていたが、マル優制度ができてからは、すべて本名義で預金している。これらの定期預金は、終戦後から父とやっていた自動車の修理時代の儲けや父の遺していった不動産を処分して得た資金を預けたものである。」(被・質てん(検第九八号))などと供述している。

そこで、この点について検討を加えると、なるほど右手帳については、その提出過程につき、捜査段階では、「自宅一階の書斎内の廊下と仕切り兼用戸棚内に古い領収証などを入れていた黒い手提げ鞄の中に入れておいたもので、何か参考になると思い持参した。」と述べながら(被・質てん(検第九七、一〇〇号))、公判廷では、「鎌田に何か聞かれたとき、何気なく手帳を見てこうやと言ったら、あっという間に取り上げられて提出させられた。」と述べる(被・一五回)などはっきりしないところがある上、同手帳の街頭部分の記載には意図的にこすったと思われるような痕跡も認められ、また、同手帳に記載された債券の購入口数等についての被告人の説明には時を追って変遷もみられる(被・質てん(検第九八号)、被・検面(検第一〇七号)、被・三二回)。さらに、同手帳のほかには、被告人がそれだけの個人資産を持っていたことを立証する客観的な証拠もない(もっとも、被告人自身の公判廷供述は別であるが、同供述は、「あったものが増えてきただけで別に計算したことはない。自分はいくら持っていたのか余り計算していないので、およそしか分からない。計算したのは、土地を買うとき手帳に計算しただけである。」などと、いささか抽象的であるし(被・三四回)、それに、被告人が捜査段階で個人の預貯金と主張した仮名預金の多くが、被告人のものではないということも判明している。)。のみならず、被告人は、捜査段階から、多額の個人資産が存在し、これが預貯金や債券の原資となっている旨主張してきたが、それでも、その一部には車両代金の一部を抜いてためた金も含まれていることを認めていたのに、公判廷では、売上の一部を抜くようなことは一切していないなどと、この点でも供述を変遷するに至っている。これらの事情に照らすと、被告人のいわゆる期首持込みの主張は、そのまま全面的に信用することはできない。

しかしながら、ひるがえって考えてみると、被告人は、捜査の初期の段階から、その額の点はともかく、本件預貯金等の中には個人営業時代に築いた資産や父親の遺産を売却した代金が相当額含まれている旨、一貫して供述するところであるのに対し、捜査官側においては、それにもかかわらず、右の供述を否定するような裏付け捜査を一切していないのであり、このような経緯に照らせば、右の供述自体をあながち虚偽の弁解として一蹴してしまうことも相当ではないと思われる。例えば、前記手帳の記載についても、その内容のうち購入口数等が他の証拠関係によって明確に裏付けられず、被告人自身もこの点の明確な説明ができないということは、逆に、被告人が当初から意図的、計画的に虚偽のいわゆる期首持込みの主張を打ち出すために捏造したものではなかったとみる余地がある。また、右の記載にかかる事実は、昭和四六年から四七年にかけてのことであり、被告人が右の主張をするために捏造したとみるにしては、いささか迂遠過ぎるとの感も免れない。さらに、右のこすったような痕跡についても、同手帳を子細に調べてみると、右の記載部分だけではなく、被告人のいわゆる期首持込みの主張とは全く関係のない記載事項中にも同様の痕跡が認められるところであって、右のような痕跡から直ちに被告人が捏造するために付けたものとは断定し難い面がある。これらの事情のほか、被告会社の所得額について、起訴にかかる三期分がその後の申告所得額と比較して異常ともいえる程度に高額であること等の先に説示した本件B/S立証の問題点をも併せ考えると、被告人の前記弁解にも軽々には排斥し難いものがあるといわなければならない。

以上のように検討してゆくと、検察官の主張する本件預貯金等の帰属の確定方法には問題があり、起訴状において各期に被告会社に帰属するものとされた仮名預貯金や無記名債券の中に、被告人が従来から有していた預貯金等を切り替えたものや、その利子等から入金、購入した預貯金等が含まれているのではないかとの疑いを払拭できないし、更には、起訴期の前に発生した預貯金等が混入している疑いも全くないとはいえない。

このように、本件においては、検察官の右帰属に関する主張をそのまま肯認することができず、他に合理的な方法も存しないので、結局、各期の預貯金等のうち、被告会社の不正な経理処理によって簿外となった利益から入金されたことの明らかな預貯金及び右利益によって購入されたことの明らかな債券については、被告会社に帰属するものとし、それ以外のものについては、一応右簿外資金が流入している疑いのあるものをも含め、すべて会社資産から除外するのが相当である。

(二) そこで進んで、預貯金等のうち、証拠上明らかに被告会社に帰属するものと認められる仮名普通預金について検討する。

浦嶋修、岸本進一作成の各確認書、収税官吏作成の査察官調査書(検第二九号)等の証拠によると、各期の仮名普通預金の期末残高は、次のとおりである。

(昭和五〇年九月期)

京都中央信用金庫円町支店 鈴木一男名義(一九八六〇-九)

二五〇万九四二五円

(昭和五一年九月期)

京都中央信用金庫円町支店 辻昭名義(〇三〇〇七〇三-五)

三〇二万七一八七円

(昭和五二年九月期)

京都銀行西京極支店 松本芝光名義(三五四-三五六)

四三七万一九一三円

以上の普通預金は、証拠(浦嶋修、岸本進一作成の各確認書、収税官吏作成の査察官調査書(検第二九、三〇、三一号)、若林・第一七、二〇回、被・質てん(検第九五、一〇二、一〇六、一〇八号))によって認められる右口座の解説の経緯、入金の状況等に照らすと、いずれも被告人らにおいて被告会社の簿外資金を入金するために設定され、売上の一部除外、仕入れの過少計上等の方法で得られた被告会社の簿外資金が入金されていたものと認められるので、いずれも被告会社に帰属するものというべきである。

弁護人らは、以上の仮名普通預金につき、右各口座に入金された金は基本的には被告人個人に帰属するものであり、被告会社では当時現金が不足がちのため、被告人は自己の手持金によって、中古車を仕入れる場合にはその代金を被告会社に代わって立替払いし、あるいは車両を売り上げた場合にはその代金を顧客に代わって被告会社に立替払いすることがあり、右の立替払いについての被告会社と被告人との間の決済として、経理担当の若林が自己の判断で右のような仮名の普通預金口座を作成した上、被告会社において仕入先に対して代金を手形等で支払ったように装い、更には、相手方の領収証まで勝手に作成するなどして、実際には右の口座に入金したものであるから、その方法の当否は別として、右の各普通預金は被告人に帰属するものである旨主張する。また、被告人も公判廷において、右の各普通預金口座は、自己が被告会社に代わって建て替えた分を返済するため、経理の若林が同人自身の判断で架空の口座を設定したものであるなどと供述する。

しかしながら、被告人は、捜査段階においては一貫して、右のような架空名義の普通預金口座を設定し、これらの口座に被告会社の不正資金を入金していたことを認めてきたものである。すなわち、「その不正方法は、公表帳簿に計上した預り金勘定の計数を口座に入金してプールしていた。右の返済を装う預り金の出所は、当社では、客から集金してきた売上をすべていったん公表の預り金勘定に計上した上、私が、二、三か月に一度、経理担当の若林千秋に対し、先に預り金として同人に渡していたものに対応する売上額を決めて指示するが、その際、取引の一部については、実際の売上額より少ない額を指示して計上させる。その結果、公表上の預り金勘定の計数が余ってくるので、これを客に返したという形に仮装した。その方法は、客に現金で返したようにして私が直接その分を若林から受け取ったり、あるいは、架空の支払手形を切り、それで客に返したように公表上扱い、その分を若林が前記仮名普通預金口座に入金したりした。また、私自身が売上金額の一部を会社に入金せずに(つまり公表帳簿である預り金勘定に計上せずに)、右普通預金口座に入金したこともある。これらの普通預金は、いずれも当社に属するものである。」などと明確に供述し(被・質てん(検第九五、一〇二、一〇六号、被・検(検第一〇六ないし一〇八号))、その信用性には何らの疑いもないところである。また、当時被告会社の経理担当者であった右若林も、「社長が現金で集金してきた代金を私の方で預かり、社長の指示で預り金という形で帳簿に記載していた。その後、社長から売上先ごとに金額を書いてもらって、これを記帳したが、当初の預り金として記載した金額より、後で社長の指示する売上金額の方が少ない場合がたくさんあった。この差額は、社長の指示で、二部預金として銀行に別に仮名の普通預金口座を解説して、そこに入れた。現金を二部に入れずに社長に渡すこともあった。現金で社長に渡すか、二部に回すかは社長と相談して決めていたと思う。符六のメモは私が二部に回したときのメモと思う。」などと、被告人の右捜査段階での供述に、前記収税官吏作成の査察官調査書(検第二九ないし三一号)等を併せて考察すると、前記各普通預金は、弁護人らの主張にもかかわらず、やはり被告会社の簿外資金によって形成されたものと認められる。

また、右立替金の主張についてみても、先にも述べたとおり、同主張は公判の途中からなされるに至ったものであるが(弁護人ら作成の昭和五九年一〇月一五日付検察官の証拠調請求に関する中間主張並びに求釈明申立書)、被告人は、一方では、例えばいわゆる期首持込みなど自己の主張を維持しておきながら、右のような重要な点に関しては、捜査段階においてはもちろん、公判の途中までも一切弁解をしていなかったものである。仮に弁護人らのいうように、真実被告人が立て替えたものを返済するのであれば、社長借入金勘定等を起こして公表帳簿に明確に記帳すれば済むことであり、会計原則上もそうするべきであって、しかも、このような方法をとるのに何らの負担も困難も伴うものではないと認められるのに、わざわざ架空の普通預金口座を複数開設し、また、その返済手段として、仕入先等に対しては代金等を支払ったように仮装し、売上先に対しては預り金を返還したようにして架空の支払手形を振り出すといった理解に苦しむ方法(後記参照)を講じ、更には、仕入先の領収証を偽造するなどの手の込んだ手段にも及んでいることが認められるのである(右若林供述等)。被告人の法廷供述によれば、これらは若林が勝手に行った。(被・一四回)というのであるが、何のために一会計担当者にすぎない同人が右のような帳簿上の処理を行わなければならないのか、その必要性が全く理解できない。これらの事情は、被告人の立替金の返済処理として甚だ不自然、不合理というべきであり、したがって、弁護人の右の主張もまた採用できない。

弁護人はまた、検察官が売上除外ないし架空仕入として主張している取引について、不正な経理の事実が認められないもののうちに仮名普通預金に入金しているものがあることは、とりもなおさず、被告人が立て替えた分の被告会社からの返済であることが立証されたものというべきであり、この点からも弁護人の前記主張の正当性が裏付けられるというので、以下、弁護人の主張する取引について更に検討しておく。

<1>  太田功関係(論告七九頁以下、弁論三七頁以下)

この取引に関する公表帳簿上から認められる事実は検察官主張のとおりであるところ、これらを前提として、検察官は、太田に車両を売り上げた際、同人から別車両を下取りしていながら、同人に対する売上代金三七万円全額が入金されているが、下取車のある商取引においては、下取代金分は右売上代金と相殺処理されるのが通常であるから、同人に対する売上の三七万円は下取代金分が控除されて記帳されておらず、実際には右下取車は仕入原価が零の車両となっているのに、太田から三二万円で仕入れたように記帳し、その仕入代金を支払手形で弁済したような形式をとって、仮名普通預金に入金されているという。これに対し、弁護人は、太田の所在が判明している以上、右の売上額と仕入額は調査すればその実額が容易に明らかになるのにこれをしないでおいて、検察官の右の主張が立証されているとはとうていいえないし、また、太田本人の回答書(検第三三九号)によれば「分割払いの三六万円で購入したと思う」旨の記載があるが、これは右三七万円の売上金額を裏付けているものであり、したがって、検察官の主張は理由がなく、むしろ、この分は被告人が会社に代わって仕入代金を立替払いしている事実が裏付けられているという。

しかしながら、弁護人が論難する実際仕入及び売上価格の調査の点については、それが困難であることは、売上先が個人の場合明確な記帳等がないのが一般であることから十分首肯でき、現に、右の太田からの回答書をみても明確ではないし、また、同回答書の金額が果たして下取車分を加算しているものであるかどうかについても、通常、下取代金分と相殺処理している場合、買主側からすれば実際に支払う金額の方に関心があると考えられることに照らすと、疑問といわなければならない(見方によっては、むしろ検察官の主張を裏付けているともいい得るのである。)そして、検察官の主張も、右の三七万円に三二万円を加えた額が太田への実際売上代金であるというものではなく、右の三二万円に相当する下取車の仕入代金が確定できないとの趣旨であると認められる。したがって、右は弁護人が主張するような根拠となるものではない。

<2>  甲山正範関係(論告九五頁以下、弁論五八頁以下)

この取引に関する公表帳簿上から認められる事実も検察官主張のとおりであるところ、これを前提として、検察官は、関係請求書控九冊(五、検第八七号)中には車代定価六三万一〇〇〇円、売価五五万四〇〇〇円、下取車一万五〇〇〇円との記載があるが、この記載は下取車の代金相当額を圧縮したもので、これにより原価零の簿外車が発生したことになり、同車を一五万円で山本へ売却した際、これに対応する仕入を一二万円と計上し、この支払代金を現金で支払ったように仮装して松本芝光名義の普通預金に入金しているという。これに対し、弁護人は、甲山と同じ会社の後輩である岡島嘉彦が、被告会社に甲山を紹介し、同人が被告会社から五五万四〇〇〇円で車を購入し、その際被告会社は一万五〇〇〇円でスズキ三六〇CCを買い、しばらくして紹介の謝礼に右車両をもらい、これを岡島らが手入れしたが、その後山本から安い車の注文があり、被告会社は岡島から右の車を一二万円で買い、山本にこの車両を一五万円で売った(岡島嘉彦・五六回、被・五一回)、そのため、この車につき新たに一二万円の仕入を計上し、被告人が同車を引き取るに際し、現金一二万円を立替払いしたので、一二万円は松本名義の仮名預金に入金されたが、これは被告人の立替金の返却であり、何ら不正はない、この事例は、一二万円の仕入が立証されており、被告人の立替金の返却が仮名預金に入金されており、本件において仮名預金の入金がすなわち不正分ではないということの証左であるという。

そこで検討すると、なるほど公表帳簿の売上年月日が昭和五一年八月二三日、仕入年月日が昭和五二年三月一〇日となっていて、むしろ下取関係にある仕入とすると時期が遅過ぎる嫌いがある。しかし、これらの年月日については、必ずしもその記帳が正確でないことは経理を担当していた若林も認めるところであり、このことが直ちに下取関係を否定することにはならない。かえって、在庫売上仕入帳(二、検第八四号)、車両売上仕入帳一綴(三、検第八五号)、前記請求書控等によれば、検察官主張のような経過がみとめられるし、岡島からスズキ三六〇CCを仕入れたと言いながら、公表帳簿上は甲山から仕入れた旨記帳されており、更には、被告人自身、裁判官からの質問で「五五万四〇〇〇円で売って一万五〇〇〇円で下取ったのを、その下取り一万円分を抜いて五三万九〇〇〇円で売上に記載したという具合に解釈してもらってよい。」旨(被・三五回)、弁護人の右の主張と異なる供述をしているところであって、これらの事情に照らせば、弁護人の主張するような経過で岡島から真実の仕入があったものとはとうてい認められない。

<3>  村田実関係(論告一一七ないし一二〇頁、弁論五七、五八頁)

車両売上仕入帳一綴(三、検第八五号)によれば、売上昭和五〇年一二月一二日七三万四〇〇〇円(車種トヨタTE三〇)、仕入昭和五一年二月二八日五万円(車種トヨタKE二五)と記帳されているところ、検察官は、右売上の際、右仕入車両を下取りしたのに、右売上金額から右下取代金分を除外して売上金額を計上して、右下取車を簿外とし、さらに、この下取車を販売するに当たり、架空仕入を起こして仕入先に代金を支払ったように記載し、実際は辻昭名義の仮名普通預金口座に入金しているという。これに対し、弁護人は、本件も「売りは売り(村田への新車の売上七三万四〇〇〇円)、買いは買い(村田からトヨタKE二五の中古車五万円の買入れ)」として処理したものであるから、何ら不正はないという。

そこで検討するのに、ここでの問題は、右トヨタKE二五の車両が下取車であるかどうかである。村田に対する請求書控(五、検領第二五四四号符第二一六の8号(検第八七号))には五〇年一一月車両代として八五万三〇〇〇円、金利五万三〇〇〇円、下取値引一七万円、諸経費合計一二万一四〇〇円、任意保険八万三六〇円、入金済内入四〇万円と記載されている。トヨタKE三〇(スプリンター)の定価は八五万三〇〇〇円と認められるので(トヨタカローラ京都の回答書、弁第一四号)、右は、この車両の定価から一七万円値引きし、更に金利分を加えたのが売上金額七三万六〇〇〇円となったという趣旨であろう(右車両売上仕入帳に記載された売上代金七三万四〇〇〇円との記載とほぼ一致する。)そして、この下取値引の中には、下取分が入っているとみるのが素直な見方であり、さらに、預り金元帳(二六、検第一四八号)によれば、スプリンター初回金として預り金四〇万円、諸経費二〇万三七六〇円、一一月二八日TE三〇車代三八万七七六〇円、一二月一〇日カローラ車代一五万円(これは検察官主張によれば下取代金分)が各入金され、同月一二日売上へ七三万四〇〇〇円が振り替えられているのであり、右の記載からみても、本来車両売上代金に加えなければならない下取代金分が売上価格から控除されているとみるべきであろう。弁護人は、公表帳簿記載の売上(昭和五〇年一一月から一二月)と仕入(昭和五一年二月二八日)の時期が異なる点を根拠に、右のトヨタTE二五は下取車ではないという。なるほど、預り金元帳によれば、昭和五一年一六日スプリンター(村田下取車)車代一〇万円、自動車税等一万円の入金、三月一〇日KE二五売上として一一万円が振り替えられた旨の記載があり、車両売上仕入帳には二月二八日にトヨタKE二五を五万円で仕入れて一一万円で木村に売り上げた旨の記載になっており、これらの記載だけからすると、弁護人の右主張も一見理由があるようにみえる。しかしながら、別の機会に仕入れたものであれば当然仕入先に支払われるはずの右の代金五万円が、現実には辻昭名義の仮名普通預金に入金され、相手方に渡っていないこと、村田実の照会事項に対する回答書には昭和五〇年一一月一六日トヨタカローラを八五万円くらいで購入し、下取金額が一五万円であったとの記載があること、また、トヨタTEスプリンター新車が売り上げられた際のものとして、下取値引一七万円という項目がある(下取額と値引額の合計が一七万円というように理解することができ、下取額が五万円なら、一二万円が値引額となる)こと、被告人自身も公判廷において下取分の売上除外とこれを辻名義の仮名普通預金に入金した可能性を認めていること(被・三五回)等に照らせば、弁護人主張のような別々の取引があったものとはとうてい認め難い(なお、右公表帳簿の記載時期がずれている点は、右回答書と対比すると、公表帳簿の記帳の方が二か月程度遅らせて記帳されたものと認められる。)。

その他、弁護人らの主張にかんがみ、更に検討してみても、前記の結論を左右する要をみない。

以上のとおりであって、仮名普通預金についての弁護人の前記主張は採用できない。

(三) 右の仮名普通預金を含め、被告会社の利益が原資となっており、したがって被告会社に帰属すると認められるものは、次のとおりである。

(1)  昭和四九年九月期

この期の銀行預金及び債券については、いくらの金額が被告会社に帰属するかを確定する証拠がなく、不明といわざるを得ないので、ともに零と認定した。

(2)  昭和五〇年九月期

この期において、検察官は、銀行預金三四九三万九七八〇円を計上しているが、右の全額が被告会社に帰属するものとして確定出来る証拠はない。同期において、被告会社の利益が原資となっていると認められるものは、次の二口である。

<1> 無記名債券(ワリチョー)五〇〇万一四八〇円

京都中央信用金庫吉祥院支店の小島明名義の普通預金(口座番号七四-一七五九八-三)で昭和五〇年二月一九日入金分の五〇〇万一四八〇円は、同年九月一日に解約されているところ、これにより同日都証券において無記名の債券であるワリチョー(第二七四回)を五〇〇万円で購入したものであることは、右資金の流れ等からみて明らかであり、右ワリチョーは当期末現在で五〇〇万一四八〇円が存在することが認められる(収税官吏作成の査察官調査書(検第二九、四〇号))。このように、同債券は右小島名義の解約された普通預金預金からの資金で購入されたものと認められるので、被告会社に帰属するものというべきである。

<2> 仮名普通預金二五〇万九四二五円

これは昭和五〇年九月一一日に入金された中央信用金庫円町支店の鈴木一男名義の普通預金(口座番号一九八六〇-九)で、その当期末残高は二五〇万九四二五円である。

(3)  昭和五一年九月期

この期において、検察官は、銀行預金二八一五万一五二四円、債券一億二五六九万四一二一円が被告会社に帰属すると主張しているが、前同様、これらの金額についても、全額被告会社に帰属するものとして確定できる証拠はない。当期において、被告会社の利益が原資となっていると認められるものは、次のとおりである。

<1> 無記名債券(ワリチョー)六五六万七八〇〇円

これは、前記繰越のワリチョー(第二七四回)の償還金五〇〇万一四八〇円と受取利息等を原資として昭和五一年八月二八日新たに購入されたワリチョー(第二八六回)で、その当期末残高は六五六万七八〇〇円である。(収税官吏作成の査察官調査書(検第二九号))。

<2> 仮名普通預金三〇二万七一八七円

これは、京都中央信用金庫円町支店の辻昭名義の普通預金(口座番号〇三〇七〇三-五)で、その当期末残高は三〇二万七一八七円である。

<3> 無記名債券(ワリコー)三九九万七一四七円

昭和五一年八月二日解約された前記鈴木一男名義の普通預金五三二万二八六〇円は、その金銭の流れからみて、同月七日に日本興業銀行京都支店で購入された額面四二七万円のワリコー(第四二二回)の購入資金となっているものと認められる。そして、右債券の昭和五一年九月の期末残高は三九九万七一四七円である(収税官吏作成の査察官調査書(検第二九号)、岩切龍雄作成の確認書(検第二一号)、収税官吏の中眞伸に対する質問てん末書等)。

<4> 無記名債券(ワリコー)二九九万七〇〇〇円

右鈴木名義普通預金の解約分中、右<3>の債券購入に充てられた分を除く残金と、昭和五〇年九月期において仕入代金を支払手形で支払ったように仮装し(後記)その実は昭和五一年八月二三日に三井銀行円町支店の小切手で引き落とした二一七万円(後記六、2参照)との合計三四九万五七一三円のうちの一部は、その資金の流れからみて、ワリコー第四二二回発行分の額面三六〇二万円中の二九九万七〇〇〇円の購入に充てられたものと認められる。(収税官吏作成の査察官調査書(検第二九号)、岩切龍雄作成の確認書(検第二一号)、収税官吏の中眞伸にたいする質問てん末書等)。

(4)  昭和五二年九月期

この期において、検察官は、銀行預金三七九五万五六八円、債券一億四四七〇万四九〇一円が被告会社に帰属すると主張しているが、前同様、これらの金額ついても、全額被告会社に帰属するものとして確定できる証拠はない。同期において、被告会社の利益が原資となっていると認められるものは、次のとおりである。

<1> 無記名債券(ワリチョー)七一〇万一八五〇円

前記繰越のワリチョー(第二八六回)の償還金六五六万七八〇〇円と受取利息等を原資として昭和五二年八月二九日新たに購入されたワリチョー(第二九八回)で、その当期末残高は七一〇万一八五〇円である(収税官吏作成の査察官調査書(検第二九号))。

<2> 無記名債券(ワリコー)四二七万円

鈴木一男名義の普通預金により昭和五一年八月七日に購入された前記ワリコー(第四二二回)の同年九月の期末残高三九九万七一四七円は、その後、昭和五二年八月二二日に第四三四回発行のワリコー(額面一〇〇〇万円)に買い換えられ、同債券のうち右鈴木名義の普通預金が原資となった分、すなわち第四二二回発行分相当額は、被告会社に帰属することが明らかである。そして、その昭和五二年九月の期末残高は四二七万円となる。

<3> 無記名債券(ワリコー)二九九万七〇〇〇円

昭和五一年九月期に存した前記ワリコー第四二二回発行分の額面三六〇二万円中の二九九万七〇〇〇円については、当期においてもその増減はない。

<4> 無記名債券(ワリコー)三九九万九〇〇〇円

前記辻昭名義の普通預金預金六五六万二一八七円については、昭和五一年一〇月七日に払い戻されているが、その資金の流れ等からみて、その一部が同日日本興業銀行京都支店において第四二四回発行のワリコー(額面四二七万円)の購入に充てられているものと認められ、その当期末残高は三九九万九〇〇〇円である。

<5> 無記名債券(ワリコー)八四万五〇〇〇円

前記のとおり、被告会社に帰属するものと認められる木村誠次郎名義の普通預金(口座番号〇三一六二二-九)から昭和五二年四月二七日に払い戻された四〇〇万円は、その時期、資金の流れからみて、同日日本興業銀行京都支店においてワリコー第四三〇回発行分二口のうちの一口額面九〇万円の購入に充てられているものと推認され、そのとう期末残高は八四万五〇〇〇円である。

<6> 仮名普通預金四三七万一九一三円

京都銀行西京極支店の松本芝光名義の普通預金(口座番号三五四三五六)は、昭和五二年七月一八日から入金され、その当期末残高は四三七万一九一三円であるが、これは、前記のとおり、その原資からみて被告会社に帰属するものと認められる。

<7> 定額郵便貯金二二八万円

これは、検察官主張の前記区分けの方法により被告人に帰属するものとされた万永和枝ほか二名名義の定額郵便貯金三口(口座番号一一三六〇六ないし一一三六〇八)である(もっとも、全体的に社長勘定で修正されている)が、その原資をみると、同貯金は、被告会社の現金二二八万円が出金された日と同じ昭和五二年七月二二日に設定されており、その金銭の額や移動の日時からみて、右の被告会社資金によって設定されたものと推認することができる(売上金メモ(一)、収税官吏作成の査察官調査書(検第二九号))。したがって、これらの定額郵便貯金は被告会社に帰属するものと認められる。

<8> 定額郵便貯金四三万円

これは、昭和五二年七月二二日に設定された万永和枝名義の定額郵便貯金一口(口座番号一一三六九四)金額四三万円であるが、その原資をみると、同貯金は、被告会社が山下らから仕入れた車両の代金四三万円を同日同人らに支払ったように仮装して預金したものと推認される(売上金メモ(一)、収税官吏作成の査察官調査書(検第二九号))。したがって、右定額郵便貯金は、被告会社資金によって設定されており、同会社に帰属するものと認められる。

(四) 以上の検討結果をもとに、各期の銀行預金及び債券科目をみると、次のとおりとなる。

(昭和五〇年九月期)

銀行預金

資産の部 公表金額 二〇五八万三八七四円

過年度金額 〇円

当期増減金額 二五〇万九四二五円

差引修正金額 二三〇九万三二九九円

債券

資産の部 公表金額 〇円

過年度金額 〇円

当期増減金額 五〇〇万一四八〇円

差引修正金額 五〇〇万一四八〇円

(昭和五一年九月期)

銀行預金

資産の部 公表金額 一四九一万三五三円

過年度金額 二五〇万九四二五円

当期増減金額 五一万七七六二円

差引修正金額 一七九四万七二六円

債券

資産の部 公表金額 〇円

過年度金額 五〇〇万一四八〇円

当期増減金額 八五六万四六七円

差引修正金額 一三五六万一九四七円

(昭和五二年九月期)

銀行預金

資産の部 公表金額 一九七六万六九三五円

過年度金額 三〇二万七一八七円

当期増減金額 四〇五万四七二六円

差引修正金額 二六八四万八八四八円

債券

資産の部 公表金額 〇円

過年度金額 一三五六万一九四七円

当期増減金額 五六五万九〇三円

差引修正金額 一九二一万二八五〇円

以上の次第であって、検察官の預貯金等の金額に関する主張は、右に認められる限度において理由があるが、その余は被告会社への帰属を認めるに足りる証拠がなく、採用できない。

五 社長勘定

前記のとおり、検察官が主張する被告会社と被告人個人資産の帰属の決定基準は、本件においてそのまま妥当するものではないので、これを前提とする社長勘定についてもその合理性を失うこととなり、同勘定は認められない。

六 支払手形の過年度修正について

1  期首(昭和四九年九月期)

検察官は、昭和四九年九月期末の修繕費の決済としてなされた支払手形四通(額面合計三三八万円)について、これらの手形はいずれも公表上翌期に現金と交換して支払先に渡したように記帳されているが、実際には右に見合う金額が前記小島明名義の仮名普通預金に入金されているので、架空支払手形であるとした上、同金額については、修正貸借対照表中の支払手形科目の「資産の部」過年度金額欄において減額修正している。これに対し、弁護人は、右手形にかかる修繕は実際に行われており、かつ、その代金も真実被告人が個人で立て替えたので、これを支払手形で返金したものであり、もし右手形を架空と認定するなら、これと同じ金額を他の負債科目で修正しなければならないという。

そこで、右の支払手形の性質について検討するのに、収税官吏作成の査察官調査書(検第四〇号)、四九年度手形受払帳(三四の1)、被・一五回等の証拠によれば、なるほど公表上は、次のとおり、昭和四九年九月期の期末残高として残った阪口らに対する修繕費が翌五〇年九月期に支払手形で支払われたように記帳されているが、実際にはこれらの手形は発行されておらず、その額面合計に見

合う三三八万円が同年二月一九日に前記小島明名義の普通預金に入金されていることが認められる。

支払先 期末残高(円) 手形番号(号)

阪口惣一 五〇万 〇三八七四

石田瓦店 一四〇万 〇三八七五

幸逸産業 四八万 〇三八七六

西本実男 一〇〇万 〇三八七七

このように、右の各支払手形が架空のものであることは証拠上明らかであるから、これらが昭和五〇年九月期の貸借対照表において過年度分として支払手形科目から減額修正されることは当然である。そして、証拠によれば、右の期末残高に相当する金額は、いずれも被告会社のために修繕等がなされ、その経費として被告会社が負担しているものであり、この修繕費が実際上どのようにして決済されたかは不明であるものの、それが支払われないまま次期に繰り越されることは通常考え難く、また、そのことを窺わされるような証票も存しないのであるから、右の修繕費は昭和四九年期末までに実際に支払われ、その決済が完了しているものと推認される。したがって、右修繕費の決済が昭和五〇年九月期になされたものとは認められないので、弁護人が主張するように、「これと同じ金額を他の負債科目で修正」しなければならないものではない。弁護人の右の主張は理由がない。

2  昭和五〇年九月期

検察官は、被告会社では、当期において架空仕入を計上した上、これを支払手形で決済したかのように仮装し、翌期において、そのうちの一〇通については公表上手形の引落しがあったように装うとともに、同帳簿に計上しない三井銀行円町支店の小切手を振り出して、同額を引き落とすという処理を行い、また、残りの一一通については被告人が京都信用金庫円町支店で同店の別段預金を通じて取り立てているものであるから、右の各支払手形はいずれも架空のものであるという。これに対し、弁護人らは、右の各手形がいずれも架空のものであることは争わないものの、その前提となる架空仕入の存在についてはこれを争い、実際に各手形の受取人からの仕入の事実は存在するとし、ただ、右のような処理をしたのは、仕入の時点で被告人がその手持ち金から被告会社に立て替えて相手方に支払っていたので、同社の会計処理上手形で相手方に支払ったようにして、別段預金で取り立てた分や小切手を振り出して現金を引き出すという方法で、右の立替金を被告人に返済したにすぎず、したがって、右の支払手形を架空のものとして否認するだけでなく、実際にも被告人に対する立替金が存在することになるから、この分を他の負債科目で修正すべきであるという。

そこで検討するのに、次の各支払手形は、いずれも当期に計上されたものであるが、そのすべてが架空の支払手形であることに争いはない(収税官吏作成の査察官調査書(検第四二、一一五号)、阪後武史作成の確認書(検第一一六号)等の証拠)。

(別段預金で取り立てたもの)

支払先 期末残高(円) 手形番号(号)

沢田隆 三六万 CSA〇五〇三三

清水貢 一四万五〇〇〇 CSA〇五〇三〇

辻本文治 一七万 CSA〇五〇三八

段畑栄治 三四万 CSA〇五〇三一

林雲張 一七万五〇〇〇 CSA〇五〇二八

人西昭三 一〇万 AH〇二四四九

星野商会 六八万 CSA〇五〇三六

柳原鉄工所 七万 AH〇二四四一

山城工業 四〇万 CSA〇五〇三七

同 一三万五〇〇〇 CSA〇五〇四〇

同 一〇万 AH〇二四四〇

(手形の引落しがないもの)

支払先 期末残高(円) 手形番号(号)

足立勝 一二万 AH〇二四四二

家辺昌雄 一八万 AH〇二四四八

沢田隆 三二万 AH〇二四四四

杉本紘二 二万五〇〇〇 AH〇二四四六

瀬野重広 二八万五〇〇〇 CSA〇五〇三四

人西昭三 五五万 AH〇五〇三二

人見さち子 六万 AH〇二四四七

星野商会 三五万 CSA〇五〇三九

山城工業 二〇万 AH〇二四四五

同 八万 CSA〇五〇三五

すなわち、証拠によれば、右のうち、まず(別段預金で取り立てたもの)として記載した一一通の支払手形については、京都中央信用金庫円町支店で同店の別段預金を通じて取り立てられ、これらの現金が被告人に渡っていることが明らかである(収税官吏作成の査察官調査書(検第三九号)、阪後武史作成の確認書(検第一一六号))。また、(手形の引落しがないもの)として記載した一〇通の支払手形についても、公表帳簿上は手形の引落しがあったように装うとともに、同帳簿に計上しない三井銀行円町支店の小切手を振り出し、これに被告会社の裏書をして同額を引き落とすという処理を行っていることが認められる(収税官吏作成の査察官調査書(検第一一五号)、約束手形一綴(六八、検第一九〇号)、居石政高作成の確認書(検第一五号)等)。このように、右のいずれの手形も発行はされたものの、実際には支払先に渡らず、それぞれ右のような処理がなされているのであるから、すべて架空の支払手形として当期の勘定から除かれるべきものである。

検察官は、前記主張に付加して、さらに、これらの架空支払手形はいずれも被告会社が車両を販売して中古車を下取りした際に、車両の売上金額(一〇)から下取車価格(三)を差引いた金額(七)を売上高として計上し、このようにして、支払い不要となった下取車(仕入価格零)を被告会社が売却した際、架空の仕入を計上し、その代金を支払手形で支払ったように仮装の経理処理をしたものであるともいう。

確かに、一般に車両の販売に際して下取車がある場合、その下取車の仕入価格は下取りしたときの時価によるべきであり、また、右の時価は、自動車販売業界が統一的に使用しているいわゆる「中古車査定表」により、車種、年式、走行距離、傷の程度等を調査した上、総合的に判断して、各販売店において算出されるべき筋合いのものである。したがって、仮に販売に際して、下取車として計上されていても、右の査定価格が零円であれば、その分は単なる販売車両の値引にすぎず、下取車については仕入として棚卸計上する必要はないことになる。

ところで、前記の支払手形によって経理処理された車両の仕入をみると、検察官が架空仕入であるとした分についても、証拠上その領収書が存するものや現実に仕入のあったことを疑う余地のないものもあるほか、いずれにしても、これらが売上に回されたことは明らかであるので、仕入の事実自体は否定することができないというべきである。したがって、架空仕入というのは正しくない。問題は、かかる仕入価格がいくらであったかということであり、これについては、検察官も指摘するように、下取車の査定価格を証明する証票類が一切存しないなど、被告会社の会計処理は適切さを欠くものといわざるを得ない。また、そのため、下取代金の支払年月日も帳簿上明らかであるとはいい難く、ひいては、これが期末の負債金額と科目に変動を及ぼし、所得計算に影響してくることにもなる。そして、これらの点については、証拠上明確な立証ができているとはいい難い。

しかしながら、本件は、もともとB/S立証による所得の計算の当否が問題であり、個々の取引の解明は必ずしも重要ではなく、否むしろ、それが不可能ないし困難な事案であるからこそ、B/S立証によったものである。そうした場合、重要なのは、期首及び期末における前記支払手形や弁護人が主張する立替金、買掛金等の負債金額の実額残高である。

そこで、このような観点から更に検討を加える。先にも述べたとおり、弁護人は、前記支払手形が仕入先に渡っておらず、その意味では架空支払手形であることを認めながらも、他面、それぞれの仕入先には、被告人が自己所有の手持金から被告会社に変わって立替払いし、したがって、被告人は被告会社に立替金債権を有するものであるから、右支払手形の発行はこの被告人に対する立替金を被告会社が支払うためにとった方便にすぎないとして、被告会社の右債務の存在を主張している。しかし、被告会社においてそもそも仕入と売上が別々に決済されていたとすること自体、甚だ疑わしいものであるばかりか(足立勝、清水貢の検察官に対する供述調書参照)、右のような被告人の立替えの主張は、もしそのとおりであれば、立替金としてまかなわれる現金の額が年間一〇〇〇万円前後にもなると考えられるのに、一方では、その返済としてなされた支払手形や小切手等がすべて取り立てられて仮名普通預金に入金され、更にこれが定期預金や割引債券等として固定化されているというのは不自然であり、また、他に右現金の出所が明確に説明できる証拠もないところから、にわかに信用し難いものがあるといわなければならない。したがって、これらの仕入代金は被告会社の資金から支払われたか、売掛金等と相殺されたものと推認するほかない。そうだとすると、次に右代金の決済の時期が問題となり、右決済が当期末までになされていないことになれば、被告会社の仕入先(販売先)に対する買掛金等の負債は存在することになる。ところで、前記支払手形によって支払をしたように仮装した取引の相手方(仕入先)との取引は、証拠を検討しても、その実態が、被告会社の車両売上に際する下取車の仕入であるのか、あるいは純然たる中古車両の仕入であるのか、必ずしも判然とはしない。しかしながら、もしそれが下取りとしての仕入であれば、被告会社の車両売上代金と下取車の仕入代金とは、右車両の売買契約時か売上代金決済時に対等額において相殺処理されるのが実際の取引の慣例と認められるし、他方、純然たる中古車両の仕入であれば、被告会社の場合、仕入先が自動車販売業者ではなく個人であるから、通常は現金取引されるものとみてよく(被告人も、現金と引換えでなければ仕入車両は渡してもらえないのが実態である旨供述している。(被・七三回))、したがって、特段の事情がないかぎり、車両が被告会社に引き取られた時点において既にその代金の決済がなされたものと推認されるが、本件においては決済が遅れたことなど、そうした特段の事情を認めるに足りる帳簿書類等は見当たらない。

以上のとおり、いずれにしても、前記仕入車両の代金決済は当期末までに完了しているものと認められるから、弁護人らの主張するように、支払手形に代わる他の負債科目(買掛金、未払金等)で調整しなければならないものではない。

3 昭和五一年九月期

検察官は、次の支払手形六通はいずれも仕入に伴う決済のために当期に振り出されたようになっているが、実際にはいずれの手形も振り出されていないので、これらを架空手形として、公表への計上を否認している。これに対し、弁護人は、前記五〇年九月期の架空支払手形の場合と同様の理由を挙げて反論している。

支払先 期末残高(円) 手形番号(号)

木村堅治 三〇万 CVC〇〇九五二

杉本修 五三万 CVC〇〇九五五

前川光則 四三万 CVC〇〇九五六

三上正 三六万 CVC〇〇九五四

皆川泰範 四万五〇〇〇 CVC〇〇九五三

村山邦夫 三八万五〇〇〇 CVC〇〇九五一

しかしながら、収税官吏作成の査察官調査書(検第一一五号)、居石政高作成の確認書(検第一五号)等の証拠によれば、右の各手形はいずれも、実際には発行されず、小切手で現金化されていることが明らかであるから、検察官がこれらの手形の公表計上を認めなかったのは正当である。また、弁護人が主張している右手形に代わる負債科目での調整も、前記2と同様の理由によりその必要がないものと認められる。

4 昭和五二年九月期

検察官は、当期末の次の支払手形二七通(鎌田・査察官調査書、検第三三号)について、被告会社では車両売上等を圧縮(売上代金の入金の一部につき、公表上預り金に計上した上、売上については全く計上しないか、金額を圧縮して計上)した結果、公表上過入金となり、期中に預り金残が発生したため、それぞれ京宝商事等宛の約束手形を振り出して、これで預り金を返したかのように装っているものであるから、いずれも架空支払手形である旨主張する。

支払先 期末残高(円) 手形番号(号)

京宝商事 九万三〇五〇 AH〇八九六三

佐々野泰之 一〇万三八〇〇 〇八九七二

塩見光男 一七万八一二〇 〇八九七三

野口良一 一四万九一〇〇 〇八九七九

渡辺自動車 一〇万 〇八九八八

岩崎義行 一一万五七五〇 〇八九六七

磯部道彦 一一万八〇〇〇 〇八九六八

一瀬隆 二二万 〇八九六一

小田嶋男 一〇万五〇〇〇 〇八九六九

金糸工芸(株) 一七万 〇八九七〇

(株)三友 二六万九二六〇 〇八九七一

(有)利倉製本所 二二万 〇八九七七

鍛治友見 五〇万 〇八九八五

平岡憲一 一二万二二二〇 〇八九八六

福井基一 八万七七五〇 〇八九六四

藤井巌 一八万六一五〇 〇八九八〇

船見博一 一〇万八五六〇 〇八九八一

本間理助 一三万三八〇〇 〇八九八二

誠拓業(株) 三三万 〇八九八三

松本晴夫 二六万九〇〇〇 〇八九八四

今井忍 一一万五〇〇〇 〇八九六六

伊原好朝 一三万二四〇〇 〇八九六五

千興電機 一一万二一六〇 〇八九七四

田中司 一二万三〇〇〇 〇八九七五

中山好直 一〇万 〇八九七八

吉川敏一 一三万一〇〇〇 〇八九八七

桂ドライ 七万一一〇〇 〇八九六二

ところで、右の各手形がいずれも、実際には発行されず、それに見合う金額が小切手で現金化され、被告人の手持金となったことは証拠上明らかであり(未使用約束手形(一二枚)一綴(五四、検第一七六号)、五二年度手形受払帳(三七、検第一五九号)、収税官吏作成の査察官調査書(検第三三号)等)、弁護人らもこのこと自体は争っていない。したがって、検察官が右の各手形を架空支払手形として修正貸借対照表において否認修正したのは正当である。

これに対し、弁護人らは、右を前提として、支払手形自体が否認されることはやむを得ないとしながらも、なお他の支払手形の場合と同様に、公表計上に及んだ原因関係を明らかにして、他の負債科目で修正して計上すべきであるという。

そこで、検討するのに、証人若林は「社長が現金で集金してきた代金は私の方で預かり、社長の指示で預り金という形で帳簿に記載していた。預り金の中身は、車両代だけのときも、諸経費込みのときもあった。本来、入金されたときに車両代、諸経費いくらとはっきり売上伝票で分かれば、一番これがやりやすいが、社長の指示でそのようにした。そして、受け取った現金は金庫に保管し、二、三か月ほどしてから売上勘定に計上したが、その売上高については社長から金額を書いてもらっていた。私の方では売上高は分からない。当初の預り金として記載した分と、売上の方に回すときの分とでは金額に差が出てきて、売上の方が低くなるようなことがたくさんあった。この差額は、結局、社長から「二部」(すなわち仮名普通預金)に入れるように指示され、鈴木や辻という仮名の普通預金口座を開設して預金していた。また、現金を仮名普通預金に入れずに、そのまま社長に渡すこともあった。このようにして生じた預り金の差額を帳簿上減少させなくてはならないが、これも社長の指示により、帳簿上客に返金するという形で処理をしていた。」(若林・第一七回)旨供述し、被告人もまた、捜査段階において、右若林と同趣旨の供述をしている(被告人・昭和五三年一〇月三一日付検面調書、検第一〇七号)。そして、これら両名の供述及び収税官吏作成の査察官調査書(検第三三号)によれば、被告会社では、被告人が車両売上先の集金を殆ど全部担当しており、売上代金を集金すると、これを経理担当の若林に渡して預り金という形で帳簿上記載させ、二、三か月後にその残高を売上勘定に計上するが、その場合、同勘定に計上する金額についても被告人が指示し、先に預り金として計上していた実際の売上金額より少なく指示することも多く、このようにして生じた帳簿上の差額については、支払手形で顧客に返金したようにし、実際には手形を振り出すことなく小切手で現金を引き出して、被告人の手持金としていたことが認められる(このことは、返金先とされている寺島泰助が、購入代金全額の支払いを完了し、被告会社から預り金の返金を受けたことはない旨供述していることからも裏付けられる(同人の質点・検第五三号))。このようにみてくると、前記架空支払手形にかかる否認部分は、被告人において売上代金を少なく計上した結果、帳簿上の売上金額と実際に買主から車両代金等として預った金額との間に差が出てしまったため、その経理上の処理を右の架空支払手形で支払ったように仮装したものと認めるのが相当である。したがって、被告会社において右架空支払手形に対応する負債科目が認められるわけではなく、弁護人らの右の主張は理由がない。

七 脱税の不正手段について

検察官は、本件の主たる脱税手段として、架空仕入の計上と売上金額の圧縮を挙げている。これに対し、弁護人は、個々の取引を問題にしても、B/S立証がとられている本件においては直接の反証にならないことを認めつつ、なおその一方で、国税局が本件について損益方により検討した資料である収税官吏作成の査察官調査書(弁第三六号)を証拠に提出した上、同調査書の内容自体、少しでも疑問のある取引は全部上げ、また、売上に通常伴う仕入原価を零にするなど売上、仕入の不正額を極度に膨らませているものであるにもかかわらず、同調査書に記載された各期のほ脱額は起訴状のそれを下回っているのであるから、同調査書記載の個々の取引の不正に関する主張が根拠のないものであることが分かれば、ひいては、同調査書記載のほ脱額の合計額を上回る本件起訴額がおよそあり得ない額であることも反証できるとして、個々の取引のいくつかを引合いに出している。

しかしながら、本件のようなB/S立証による場合にあっては、弁護人も自認するように、いくら個々の取引を問題にしてみても、それ自体でほ脱額についての反証になるわけではない。しかも、弁護人が根拠としている前記調査書は、作成者の鎌田調査官自身、その内容の不正確であることを認め、それゆえにこそ、本件でB/S立証を採用したと強調しているところのものであるから、同調査書の記載内容との比較で本件B/S立証の不正確性を論難することは当を得ない。

弁護人はまた、本件において、検察官の主張するような架空仕入、売上除外といった不正な経理処理は、帳簿上の過誤等は別として、全く存在しないともいう。確かに、不正処理が全く認められないのであれば、B/S立証の結果得られた所得金額はその実額を超えていないとの保障が存しないことにもなるが、被告会社に不正な経理処理が存在することは、先に仮名普通預金の帰属に関する項において検討したとおり、いくつかの取引において証拠上明らかとなっている。したがって、弁護人の右主張も理由がないが、なお本件審理の経過にかんがみ、弁護人が何の不正もなかったと指摘しているその余の取引のいくつかについて、若干検討を加えておくこととする。

1  今井繁穂関係(論告七九頁以下、弁論三七頁以下)

証拠によって認められる事実関係は、検察官の主張するとおりである。

検察官は、これを前提に、一般に下取車のある商取引においては、売上代金がそのまま全額入金されるというようなことはり得ず、下取代金相当額と相殺して決済されるのが通常であるところ、今井繁穂とワコール(沢田隆)への売上代金には、下取代金相当額が加えられずに記帳されており(すなわち七)、今井と沢田からの下取車の仕入原価(三)は記帳されておらず、これらの車両は仕入原価が零となり、したがって、今井からの七万円とワコール(沢田)からの三六万円の各車両の仕入記帳はいずれも架空の記帳であるが、右架空仕入代金は今井らに渡されずに被告会社の簿外資金となっているという。

一方、弁護人は、被告会社においては、車両の売却と仕入は原則として別の取引として処理してきているものであり、また、今井から下取車を引き取るときは、現に車両を持ってきてしまうから、同時履行的に被告人が自己資金で代金七万円をその場で立替払いしているのであるし、さらに、ワコールというのはワコール社員の沢田の意味であるが、同人からの仕入は公表記帳簿に記載されているのであって、同人から仕入れた車両の代金三六万円を被告人が立替払いし、被告会社はこれを被告人に返済するために支払手形を振り出す形式を取ったにすぎないものであるところ、右車両を今井に四〇万五四九〇円で転売したのであるから、その間に何ら不正はないという。

ところで、下取車のある商取引においては、先に説示し、また検察官も主張するとおり、売上代金がそのまま全額入金されるというようなことはあり得ず、下取代金相当額と相殺して決済されるのが通例であると思われる。そして、右の取引の経過からみると、右の場合にも、このような相殺をして決済されたものと推認される。弁護人は、車両の売却と仕入は原則として別個の取引として処理してきているというが、その趣旨は必ずしも明らかでない。確かに一般論としては買取りだけの場合や、先に車両を売ってその後に別の車両を買い入れるという形態の取引も考えられるが、右の場合はそのような取引とは認め難いし、そもそも被告人は、個人からの買取りは行っていないとも供述している(被・質てん(検第一〇四号))のであるから、被告会社の取引が原則的に弁護人主張のような形態でなされているとみることには疑問がある。仮に百歩譲って、右が売上と仕入を別にした取引の場合であるとしても、なお、沢田から仕入れた車両の代金三六万円については、被告人が自己資金で被告会社に代って立替払いをしたものとは認め難い(前記六、2)。すなわち、右代金三六万円は、その支払が沢田への支払手形による形式をとりながら、実際には右手形が同人に渡らず、別段預金で取り立てられて仮名普通預金に入金されていることが明らかである。そうだとすると、沢田への仕入代金は被告人の黒鞄から支払われた可能性が否定できないことになるが、前記のとおり、右黒鞄の中の現金は被告人のものではないと認められるのであるから、結局、右代金は被告人が手持ちの被告会社の現金で支払ったにすぎないことになる。要するに、右代金は、被告会社の簿外現金によって支払われながら、これを被告会社が支払手形で支払ったように仮装して、右のように別段預金を通じて取り立てた上、仮名普通預金に入金されて再度簿外となったというわけであり、やはりそこには不正な経理処理が存在するものといわなければならない。

2  木村堅治関係(論告九〇ないし九三頁、弁論六九ないし七二頁)

証拠によって認められる事実関係は、検察官の主張するとおりである。

検察官は、この取引においても、木村に対する実際の車両売上価格(車両本体に付属品等も含む)は一六二万円であるのに、同人からその際下取りした車両の代金分を除外して、公表帳簿上は一四三万円で売り上げたように記帳し、これによって右下取車を簿外とし、後日同車両を売り上げる際、木村から三〇万円で仕入れたことにして同人にその仕入代金を支払ったように仮装し、実際には同代金相当額を簿外の資金としているという。

これに対し、弁護人は、マツダオート京都からの回答書(弁第七号)によれば、木村に売却した車両の仕入価格は一三一万五〇〇〇円であると認められることから、右取引は公表帳簿(車両売上仕入帳一綴(三))どおり昭和五一年七月二日に木村に対し一四三万円で売り上げられたものであり、一六二万円に付属品等を含むとみる検察官の主張には根拠がないという。

そこで検討すると、右の一六二万円中に付属品等が含まれているとの直接的な証拠はないが、木村からの回答書によれば車両代は一六二万円となっているところ、一般に自動車の購入者は車両本体価格と付属品等を区別して認識していないのがふつうであるから、木村への実際売上金額は、検察官の主張するとおり、車両本体価格と付属品等の価格を含んだものとして一六二万円と推認することができる(なお、弁護人は、仮に検察官主張のとおりとすると、仕入価格には車両本体価格のほかに付属品等の仕入代金をも加えるべきであるというが、P/L立証(損益計算法)であればともかく、B/S立証がとられている本件においては、あくまでも不正手段の在否という観点から個々の取引を検討しているにすぎないから、個々の取引の損益項目の修正は問題とならない。)また、右木村の回答書によれば、右取引の際、下取車二二万円があったことが明らかであるが、このような場合、公表帳簿には中古車の査定基準に基づく適正な価格による仕入を計上すべきであるのに、そもそも、右の下取車があったことについての記載すらもない。一方、車両売上げ仕入帳一綴(三)によれば、昭和五一年七月二六日木村から三〇万円で仕入れたように記帳されているが、右の仕入代金の記載が正確であるとはとうてい認め難い(右回答書では下取額二二万円となっている)のみならず、通常右のような下取車については相殺による決済が行われると思われるのに、右三〇万円は木村への買掛金とされ、更にこれを支払手形で支払ったように帳簿処理されており、このような処理自体が不自然であるし、また、右の支払手形も実際には引落しがなく、同人に支払われていないことが明らかであって(五一年九月期振り替え伝票綴(六一の1)、居石政高作成の確認書(検第一五号))、ここにも不正な経理処理がなされているといわざるを得ない。

3  日本合繊工業関係

<1>  昭和五〇年八月二〇日売上の七一万五〇〇〇円分について(論告九三ないし九五頁、弁論七二頁)

検察官は、この点について、車両売上仕入帳(符三号、検第八五号)及び四九年五〇年度車輌売上仕入在庫元帳一綴(四一)には、なるほど昭和五〇年八月二〇日売上七一万五〇〇〇円(車種三菱T一二〇V)、仕入昭和五一年五月一四日(車種三菱A一〇〇)と記載されているが、一方、請求書控(一二冊)一綴(五九、検第一八一号)中の六冊目の一一枚目には三菱T一二〇V五〇年、車第一第七六万円、下取車(三菱)四万五〇〇〇円、請求金額七一万五〇〇〇円と記載されていることからすると、公表売上の記載は下取車の代金相当額を圧縮したものであり、右は公表仕入金額四万円の支払代金が相手方に支払われず、被告会社の簿外資金となっていることからも明らかであるという。

これに対し、弁護人は、右の請求書控はメモであり、交渉の一過程での記載にすぎず、決め手にはならない。右の取引も、「売りは売り、買いは買い」として別個になされたものであり、右取引を正確に会計処理されていると反論する。

しかしながら、右の請求書控の記載と公表帳簿の記載とが食い違っていることは明らかであり、弁護人の主張にもかかわらず、右の公表帳簿の記載は売上額を正確に記載したものではないといわざるを得ない。弁護人は右請求書控の綴があるはずであるのに、それが見当たらない。のみならず、右請求書控綴の体裁からしても、その様式は複写式となっているが、同控綴の中には、被告会社の住所記名印と会社印とが押捺され完成されたと認められる請求書が残っていること、他方、複写された部分(請求書として相手方に渡される部分)はそれぞれ切り離されていて、その殆どが残っていないこと、そして、控部分には代金の入金を示す「入」と日付が記載されていることなどから、それがメモではなく、正規の請求書控であることは明らかといわなければならない。そして、右三菱A一〇〇の車両は、その金額等からみて日本合繊工業への売上の際に下取りした車両と認められる(なお、右車両売上仕入帳によれば、右三菱A一〇〇の車両は昭和五一年五月一四日に同工業から仕入れて、四日後に売り上げられたように記帳されているところから、前記仕入月日の記載は事実と合致していないものでもある。)したがって、検察官の主張するように、前記の売上代金は右下取車代金相当分を控除した額になっていると認められ、一方、右の下取車については、売上の際既に相殺処理しているものと推認されるから、これを改めて、公表帳簿上仕入を起こして決済したように処理した(実際には、その代金が相手方に支払われた形跡はなく、被告会社の簿外資金となっているものと認められる。)のは、不正経理以外の何ものでもない。

<2>  昭和五一年四月三〇日売上九九万七〇円分について(論告九八ないし一〇一頁、弁論七二、七三頁)

車両売上仕入帳一綴(三、検第八五号)によれば、売上昭和五一年四月三〇日九九万七〇円(車種トヨタATT一〇〇)、仕入昭和五一年七月二六日三〇万円(車種ニッサンKPC一〇)と記載されているが、一方、請求書控(五、検領第二五四四号符第二一六の6号(検第八七号))には、コロナ一八〇〇CCGLクーラー付一二一万二〇〇〇円、クーラー値引き三万八〇〇〇円、下取車及び値引二〇万円、請求金額九七万四〇〇〇円との記載があり、右の請求書控(これが正規のものと認められることは前記のとおり)及び公表仕入代金の決済状況からみて、右仕入車両は右売上の際の下取車と認められ、右の取引についても、公表帳簿の売上金額には右下取車代金文が控除されて記載されている(すなわち、右売上の際、下取車代金分を売上代金と相殺処理している)ものと認められる。そして、公表仕入代金三〇万円については、これが相手方に支払われた形跡はなく、被告会社の簿外資金となっているものと認められる。したがって、前記<1>の場合と同様の不正な帳簿処理がなされていることを否定できない。

4  藤こし関係(論告一〇一ないし一〇三頁、弁論七三ないし七五頁)

車両売上仕入帳一綴(三、検第八五号)によれば、売上昭和五一年八月一三日一八八万円(車種マツダCD二三C)、仕入昭和五一年八月三日三六万円(車種トヨタセリカ)と記帳されているが、一方、請求書控(五、検領第二五四四号符第二一六の5号(検第八七号))には、昭和五一年六月一九日売上金額二一〇万三〇〇〇円、下取四万円、残請求金額一六〇万円との記載がある。

検察官は、右公表帳簿上の売上金額はその際下取りされた車両の価格分を控除した金額であり、このことは、右請求書控に下取りの記載があることや、公表に仕入計上した三六万円の支払代金が相手方に支払われた形跡がないことからも推認でき、下取車は右トヨタセリカである、なお、右マツダCD二三Cの車両定価は一九一万五〇〇〇円であり、これにクーラー等の付属品が付いていたと考えれば、右売上価格を二二四万円として何ら不合理でもないという。これに対し、弁護人は、右マツダCD二三Cにクーラー等の付属品があったとの立証は全くないし、仮にクーラー等が付いていたとすれば、二二四万円から車両定価の一九一万五〇〇〇円を差引くと三二万五〇〇〇円となるところ、実際には定価から一五ないし二〇万円程度の値引がなされるのが普通であるので、本件が一五万円の値引きと仮定して車両本体一七六万五〇〇〇円を差引くと、四七万五〇〇〇円となる、しかも、クーラー代が定価で一八ないし二一万円程度であるから、実際にはこれより安い、百歩譲って仮に検察官主張のとおりとしても、その場合、クーラー代等の仕入原価は差引くべきであるという。

しかしながら、右請求書自体が相手方に渡されていない点は認められるものの、藤こし宛のこれに代わる請求書が存在しないこと、右請求書控に残代金として一六〇万円の記載があること、仕入代金の流れが本来支払われるはずの仕入先に向かっていないことなどからして、右の公表の売上記載は、前記の事例と同様に下取車代金分を控除して記載しているものといわざるを得ない(なお、右のように正規の売上金額が定価より高くなっている点について、「クーラー等の備品」が付加された値段と考えれば説明がつくことであり、さらにアルミホイール等を付ければ右程度の金額には十分なり得るほか、値引率も車種によって異なるし、下取額の中に実質的に考慮する例も相当に多いことなどを考えると、右は必ずしも不自然とはいえない。)。

5  松田修(田中正志)関係

請求書控(四冊)一綴(四五、検第一六七号)によれば、昭和五二年四月一五日(いすずジェミニPF五」を六五万円で松田に売り、その際トヨタコロナを五万円で下取りしたと記載され、また、在庫売上仕入帳一綴(二、検第八四号)によれば、売上商品として五五万円と記載されているだけで、下取車の項目には何の記載もない。一方、車両仕入売上メモ(八、検第九〇号)には、トヨタRT九四一〇二二二一一を松田から下取りし、田中に販売したとの記載があるが、この売上については公表上全く記載がない。

検察官は、右の点から、公表上は下取車を簿外として売上を圧縮していることが認められるといい、さらに、売上金メモ(一、第八三号)、証券ホルダー(四、検第八六号)の記載をみても、松田から下取りしたトヨタコロナを田中に販売した際の預り金二九万円が会社には入金されず、松本名義の仮名普通預金に入金されており、売上除外であることが明らかであるという。これに対し、弁護人は、松田からのトヨタコロナは無償で九里四郎に譲渡したもので、これを同人が個人的に田中に売った際、田中が九里に代金を支払うまでの間に、被告人が自己の金を立て替えて九里に払ってやっていたので、後日田中から支払があった際、被告人がこれを取得したまでであるという。

そこで検討すると、検察官が主張するように、領収書控一四冊(四六の3、検第一六八号)によれば、田中に下取車を売却するに当たり、代金二九万円を昭和五二年五月一六日に受け取り、被告人の署名のある被告会社名義の領収書を発行していること、車検管理表・出庫表二四綴(八〇、検第二四三号)及び登録関係台帳五冊(八一、検第二四四号)によれば、同日同車を被告会社工場に入れ、その際右車検管理表・出庫票(五月分)には受付番号〇五二三五、顧客氏名、名称欄に田中正志、振向車、顧客コード、番号欄に営と記載され、同車は一日で工場を出ていること、そして、同月二六日付で田中名義に登録替えがなされていることがそれぞれ認められ、これらの事実に照らすと、下取車を田中に販売し、車両代金が支払われ、その後納車のため工場に入れて整備し、翌日納車したものと認められる。以上のように、田中への売上代金は、納車以前に既に田中から支払われているのであって、さらにそれより以前に被告人が二九万円を田中に代わって九里に支払ったというのであれば、それだけの理由が必要であるが、九里にも被告人にもこの点についての説明はみられないこと、納車までの経過をみても個人の取引にしては不自然であるといわざるを得ないこと、被告人自身公判廷において、裁判官からの「下取分の五万円と後五万円を売上圧縮したと理解できるが。」との問いに、「そうですね、そうかも分かりませんよ。」と供述し、また、「松田からの仕入車を田中に売ったということが帳簿上載っていないが、その点はその車を簿外で売った可能性がある。五万円のものが二九万円になることはないが、よっぽど何かしているはず、簿外にして二九万円を松本名義の仮名預金にいれた可能性はある。」などと供述していること(被・三五回)などに照らせば、右の取引が九里個人の取引であるとはとうてい認め難い。

6  誠拓業関係(論告一四四ないし一四七頁、弁論七八頁)

検察官は、この取引は、実際の売上額は六四万円であり、同額を受取手形で受領してこれを公表帳簿に預り金として計上し、右預り金のうち四四万円を売上に振り替えて売上金額を圧縮し、その圧縮した二〇万円は、支払手形で返金したように仮装して公表上処理し、実際には辻昭名義の仮名普通預金に入金されているものであるという。これに対し、弁護人は、最初誠拓業へ六四万円で車両を売る話があったが、後に四四万円の車両の取引に切り替わったものであり、検察官の主張するような六四万円の売価では、この車両が三五万五〇〇〇円で下取りしたものであるから、取引車両の評価額としては不当に高くなってしまうという。

しかし、検察官の主張は証拠関係に照らして妥当であると考えられる。すなわち、在庫売上仕入帳一綴(二、検第八四号)には、誠拓業に対しニッサン二三〇を昭和五一年七月二日四四万円で販売したとされ、その代金の決済状況は、昭和五一年度預り金(負)帳簿一綴(二六、検第一四八号)及び51/9期振替伝票(六一の1ないし3、検第一八三号)によると、昭和五一年六月二八日受取手形で入金となり、手形の額面は六四万円、相手勘定は預り金ということで、借方受取手形、貸方預り金と記帳されている。そして、同年七月二日に預り金のうち四四万円が売上に振り替えられ、残り二〇万円については、同年九月一七日誠拓業に返金したように記帳されている。一方、請求書控九冊(五、検第八七号)中の昭和五一年六月二二日付誠拓業宛の請求書控によれば、六四万円を誠拓業に請求したことが認められ、また、メモ一綴(六、検第八八号)及び収税官吏作成の査察官調査書(検第二九号)によれば、右の差額二〇万円は、他の被告会社の資金と混合され、同年九月二四日に前記辻昭名義の仮名普通預金に入金されていることが認められる。

右の事実関係に照らすと、なるほど、右の車両が三五万五〇〇〇円で下取りされたことになっており、これを中古車として六四万円で売るということは、利益率からみると高過ぎる嫌いがあることは否定できないけれども、右車両の下取価格の正確性についてこれを裏付ける明確な証拠は残されていないし、中古車の特性からみて、全く不合理な価格とまでは認められない。右の請求書控の記載は動かし難いものと認められる上、右二〇万円が相手方に返還されることなく、仮名普通預金へ入金されており、被告人の立替え主張が不合理なことも既に説示したとおりであることなどに照らせば、弁護人のいう「これも何らかの理由で被告人が立て替えた可能性がある」というのは、具体的な可能性が窺われない、いかにも辻褄合わせの推論との感を拭えず、結局、右のような不正な会計処理がなされたものと認めざるを得ない。

7  加茂大蔵関係(論告一四七ないし一四九頁、弁論七八、七九頁)

検察官は、小川武志名義のニッサン車は実際には加茂へ売却されているのに、公表帳簿には全くその記載がなく、簿外の車両となっており、したがって、右車両の売上を除外していることが明らかであるという。これに対し、弁護人は、右車両は、最初サカイ電機製作所の社員である小川武志に売ったが、同人が解約してきたため、次いでこれを加茂に売り変えたもので、経理に不正はないという。

しかし、この点に関しても、検察官が主張するように、領収書控三綴(四六の1ないし3、検第一六八号)中の加茂大蔵宛の分に、昭和五二年八月六日現金二万円(板金代)及び現金二九万六八七〇円を、同年七月九日に現金三〇万円をそれぞれ受け取っている旨の記載があるところ、一方、52/9期振替伝票綴(五七の10、検第一七九号)によれば、同年八月六日付で二万円の現金収入が計上されているものの、その余の二九万六八七〇円と三〇万円の入金については計上されていないこと、証券ホルダー一綴(四、検第八六号)及び売上金メモ一綴(一、検第八三号)には「加茂五〇〇〇」とか、「加茂三〇〇〇〇〇」とか、「サニー加茂二九八七〇」等の記載があること、収税官吏作成の査察官調査書(検第三一号)によれば、右三〇万円は同年七月一八日に前記松本芝光名義の仮名普通預金口座に入金され、右五万円は同月二二日被告人名義の定額郵便貯金となっていること、さらに、登録元簿一綴(八二、検第二四五号)によれば、ニッサン車が同年七月一六日付で小川武志名義から加茂大蔵名義に変更されていることなどがそれぞれ認められるところから、ここにも不正な帳簿処理があるこ

とは明らかである。

八 ほ脱の犯意について

被告人は、捜査段階においては、本件ほ脱の犯意を認めていたが、公判廷においては、経理上の過誤による所得の脱漏があることは別として、前記のような不正経理の事実は全くなかった旨供述し、犯意を否認するに至っているので、この点に関して検討を加えておく。

前記のとおり、被告会社においては、車両を売り上げるに際し、下取車があるのに、その下取代金相当分を売上代金から控除して公表帳簿に計上するとともに、右下取車を別の機会に仕入れたものとして新たに仕入勘定を起こした上、仕入先にその代金の支払いをしたように装って、これを簿外の仮名普通預金や現金とし、さらに、これらを無記名の債券等の購入に充てて、簿外の資産を形成していたことが明らかであるところ、被告人は、右の経理処理を自ら指示するなど、被告会社における不正経理の実情を十分に把握し認識していたものと認められる。

すなわち、証拠によれば、

<1>  本件査察が着手された昭和五三年三月二八日に、被告人が所持していた黒色鞄内から、売上金メモ一綴(一、検第八三号)、解約通帳半片(京都中信/円町)一枚(一三、検第一三五号)及び仕様済普通預金通帳(京都中信/円町)一通(一四、検第一三六号)等が発見、押収されているところ(収税官吏作成の差押てん末書(検第一一一号))、右売上金メモ中には、売上先からの預り金の全部又は一部を定額郵便貯金や仮名普通預金に入金していることを示す記載がみられるが、右入金分については、公表帳簿である昭和五二年元帳(負)二綴(二七の1、2、検第一四九号)や在庫売上仕入帳一綴(三、検第八五号)等には一切預り金として記載されておらず(この点は、検察官が論告において詳論するとおりである。)また、右の解約通帳半片は辻昭名義、使用済普通預金通帳は木村誠次郎名義とそれぞれ架空名義のものであって、前記のとおり被告会社の簿外資金がこれらの口座に預金されていたこと

<2>  同日被告人の居宅から約束手形一綴(六八、検第一九〇号)も押収されているところ(収税官吏作成の差押てん末書(検第一一二号))、これらの手形は前記のとおり車両の売上代金の支払いということで被告会社名義で発行されながら、相手方に渡らず、最終的には別段預金を通して取り立てられて、その現金が被告人に渡ったり、あるいは小切手を発行しこれに被告会社が裏書をして換金されたりしていること

<3>  被告会社における車両の仕入、販売とその代金の支払い、集金は、殆ど被告人が一人で行っていたもので、経理担当の若林がこれらを記帳するに当たっても、被告人が指示するままにその取引及び販売金額等を記載していたこと(若林・一七回)、そして、その処理方法も前記のとおりであって、被告人が指示した実際の売上額が当初預り金として記帳した金額を下回ることも多く、そのような差額分については、被告人が「二部」(被告人の指示により開設した京都信用金庫円町支店の鈴木一男及び辻昭名義の仮名普通預金口座等を指す)の方に入れておくように指示していたこと(若林・右同)

などの事実が認められ、これらの事実を総合すれば、被告人において本件ほ脱の犯意を有していたことは優に推認できるものといわなければならない。

しかも被告人は、捜査段階においては、売上の一部を公表帳簿から除外して脱税していたこと、このことは若林に知らせず、自分一人で行ったこと、仮名普通預金口座については売上除外による簿外資金を入金するために設定したものであることなどを認めており(被・昭和五三年三月二八日付、同年六月二〇日付、同年七月二四日付、同年八月三日付、同月一六日付、同年九月五日付各質てん、被・同年一〇月三一日付二通(検第一〇六、一〇七号)、同年一一月一日付各検)、さらに、第一回公判における罪状認否の際にも、「脱税の事実については認めますが、脱税額については争います。わたしが脱税した額は、約一五〇〇万円から二〇〇〇万円までだと思います。」と供述しているところであって、これらの供述は、右の事実に符合するなどその信用性に疑いを入れる余地のないものである。これに対し、被告人の公判廷におけるその後の弁解は、事実関係とそぐわない部分が多く、右捜査段階等における供述内容と対比し、とうてい信用することができない。

第三結び

以上、説示したとおり、検察官が主張する修正貸借対照表の勘定科目中、銀行預金及び債券に関しては、これをそのまま肯認することができず、先に認定した金額の限度でしか認められないので、結局、公訴事実記載の各期の所得金額もそれぞれ判示の限度で認められるものとの結論に到達した。

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、行為時においては昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一五九条一項に、裁判時においては右改正後の同法一五九条一項にそれぞれ該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときに当たるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、いずれも所定刑中罰金刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪所定の罰金の合計額の範囲内で被告人を罰金二〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

他方、被告人の判示各所為は被告会社の業務に関してなされたものであるから、被告会社については、いずれも前記改正前の法人税法一六四条一項により同法一五九条一項の罰金刑に処せられるべきところ、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪所定の罰金の合計額の範囲内で被告会社を罰金三〇〇万円に処する。

なお、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により、その三分の一を被告人らに連帯して負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、被告人において、被告会社の基礎を安泰にするとの動機から、売上の一部を除外し、あるいは仕入を過少に計上するなどの方法で被告会社の資産を簿外にして、三期にわたり法人税を過少に申告してこれをほ脱した事案であって、各犯行の動機に同上の余地がないばかりか、その態様をみても、経理担当者に指示し、会計帳簿の辻つまを合わせるなどの操作により所得の一部を隠匿するというもので、かなり悪質な面が見受けられる。そして、本件起訴にかかる三期の平均ほ脱率は約六五パーセントであって、決して低いものではなく、また、被告人らのこのような行為が国民の納税に対する不信を助長するなど、その及ぼす社会的な悪影響も看過できない。これらの事情に照らすと、被告人らの刑責には軽視を許さないものがある。

一方、ほ脱額自体は判示の程度にとどまっていること、本件が一五年以上も前の犯行であって、第一回公判から弁論の終結までに一二年を要しているが、このように審理が長期化したのは、被告人の対応に問題があったわけではなく、多くの争点についての証拠調べがなされたことに起因するところ、その要因をみると、裁判所において、明確な審理計画を立てて有効適切な訴訟運営への工夫に欠ける点がなかったとはいえないことのほか、検察官の立証についても、査察段階や捜査において適切な裏付調査に欠けていた点が問題を深くしたことは否定できず、このようないわば検察官側の不手際が争点を増やす結果にもなったこと、被告会社にあっては、犯行後は税理士の指導のもとに適正な納税を行ってきており、その間に納税に関する問題を起こしたようなことはなかったこと、被告人には前科前歴が一切なく、再犯のおそれもないと思われること等の被告人らに有利な事情も存在する。

そこで、以上諸般の事情を総合考慮し、本件では被告人に対しても罰金刑にとどめることとして、それぞれ主文の刑を量定した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 白井万久 裁判官 松尾昭一 裁判官釜元修は転補のため署名、押印することができない。裁判長裁判官 白井万久)

別紙(1) 修正貸借対照表

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別紙(2) 修正貸借対照表

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別紙(3) 修正貸借対照表

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別紙(4) 税額計算書

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